震災後43日経った宮城県の石巻市と女川町の海岸線を視察して来たので地図と画像でまとめておきます。Googleでは便利なサービスとしてGoogleMapの航空写真をいち早く被災後の航空写真を掲載している。Yahoo!地図での以前の航空写真と比較すると津波の被害の範囲が判るモノ‥
また、GoogleのStreetViewのサービスでも驚いたコトに宮城県の殆どの道の画像が残っていた。コレは帰宅後に気が付いたのだけど‥折角なので前後で比較してみた‥。
また、GoogleのStreetViewのサービスでも驚いたコトに宮城県の殆どの道の画像が残っていた。コレは帰宅後に気が付いたのだけど‥折角なので前後で比較してみた‥。
仙台市内でのボランティア作業も終え月曜からの本来の通常業務に戻る為、放っておいた助役サマのメンテナンスも日曜のうちに済まさねばならない‥
日曜の超早朝に起きてしまったボクは、静かに礼拝堂を後にして1,000円で一気に帰長するのもチョッと寂しく、もっと地球の残した鼓動を感じたく踵(ハンドル)を東へと向ける‥。
日曜の超早朝に起きてしまったボクは、静かに礼拝堂を後にして1,000円で一気に帰長するのもチョッと寂しく、もっと地球の残した鼓動を感じたく踵(ハンドル)を東へと向ける‥。
仙台市内からR45号を西に進む。松島の小島らに守られて塩竈港と松島町の海岸線は比較的被害も少なそう‥東松島市を過ぎると景色は一変‥(まだ夜明け前で良く見えないが‥)ナビの画面には市街地が映し出されているが、全くの暗闇‥生き残った信号だけ点灯している。月齢20歳程の月明かりに照らされた海がぼんやり輝いて見える。
石巻市街でR45と別れR398に入る。旧北上川の橋は高欄は全て無くなっていたが車で渡る事は出来たが、その後すぐ国道が冠水していてちょっと先まで深そうなので止める。潮が混ざって居れば車は錆びるだろうし、嵌まってカメになればこんな真っ暗な早朝から『野次馬ぁ~!』って石を投げられそうだ‥。
諦めてR45号を北上しようと思ったら別の橋があったのでソレを渡り再び海岸線に‥と思ったら万石浦って内海で津波の被害は‥ん~っ 全くなかった様な‥。そんなモノか‥帰宅後にTX系『ガイアの夜明け』にて女川町の復興の先陣を切る蒲鉾工場として紹介されていた。
避難所になっている女川第一小学校を左に見て坂を下りはじめ頃になると辺りはやっと明るくなってくる、しかし坂の上から見下ろした女川港は全て瓦礫の平原となっている‥。
避難所になっている女川第一小学校を左に見て坂を下りはじめ頃になると辺りはやっと明るくなってくる、しかし坂の上から見下ろした女川港は全て瓦礫の平原となっている‥。
【女川港】
唖然としながら海水が冠水している道を徐行‥
夜明けの港で動くものは殆どない。波のの打ち寄せる音と風の音がするだけ‥
唖然としながら海水が冠水している道を徐行‥
夜明けの港で動くものは殆どない。波のの打ち寄せる音と風の音がするだけ‥
女川港全景‥。被災前の景色は国道からは立木と建造物で望めない‥
被災後の女川港
【牡蠣殻山】
言わずと知れた牡蠣の産地であるため、牡蠣殻は産業廃棄物として大きな山になっている。
言わずと知れた牡蠣の産地であるため、牡蠣殻は産業廃棄物として大きな山になっている。
【水浜】
水浜に至る国道沿いに自衛隊の人々が野営をしている。さすがに高いトコでの野営‥
早くからランニングしている自衛官もいた。
高台の国道から水浜の集落跡を見下ろす。
高架の橋脚に打ち付けた津波の痕跡‥。 被災前の同位置から
写真撮影位置
水浜に至る国道沿いに自衛隊の人々が野営をしている。さすがに高いトコでの野営‥
早くからランニングしている自衛官もいた。
高台の国道から水浜の集落跡を見下ろす。
高架の橋脚に打ち付けた津波の痕跡‥。 被災前の同位置から
写真撮影位置
【雄勝】
写真①女川町から再び石巻市に入る。雄勝地区入口から望む‥震災後はすっかり見晴らしがいい
写真①震災前は建物が軒を連ねときどき畑‥ 写真②海岸沿いは浸水‥
写真④石巻市図書館雄勝別館の屋上に大型バスが‥ 屋上駐車場‥? 津波で運ばれて座礁したのか?
写真⑤谷をしばらく登って海の見えないような高台まで‥
写真⑥国道橋から上流を見る。 震災前は樹木がたくさん
写真⑦同じく下流を見る ココだって海なんか見えないかなり離れたトコ‥
撮影箇所位置図
写真①女川町から再び石巻市に入る。雄勝地区入口から望む‥震災後はすっかり見晴らしがいい
写真①震災前は建物が軒を連ねときどき畑‥ 写真②海岸沿いは浸水‥
写真④石巻市図書館雄勝別館の屋上に大型バスが‥ 屋上駐車場‥? 津波で運ばれて座礁したのか?
写真⑤谷をしばらく登って海の見えないような高台まで‥
写真⑥国道橋から上流を見る。 震災前は樹木がたくさん
写真⑦同じく下流を見る ココだって海なんか見えないかなり離れたトコ‥
撮影箇所位置図
【新北上大橋】
明治44年から昭和9年までの23年をかけて、石巻市の洪水抑制の為北上川を登米市付近で派川の追波川を利用し開削工事にて旧北上川と新北上川に流れを分けた。それによって出来た新北上川の一番下流の橋
特に通行止めの看板がないから進んで行くと‥。橋がなかった‥ 【新北上大橋周辺】
この橋の東側橋詰辺りに石巻市立大川小学校があるのを知ったのはこの文を書いている時‥
『沢山の小学生が教師の判断ミスによって津波に呑まれて被災した』とメディアを賑わせている。
川までこれだけの高低差があれば避難地として判断したくなるかも‥想定外だったようだ‥
崩れた堰堤は鉄板で養生した道になっており、国交省の排水車が排水をしていた。
明治44年から昭和9年までの23年をかけて、石巻市の洪水抑制の為北上川を登米市付近で派川の追波川を利用し開削工事にて旧北上川と新北上川に流れを分けた。それによって出来た新北上川の一番下流の橋
特に通行止めの看板がないから進んで行くと‥。橋がなかった‥ 【新北上大橋周辺】
この橋の東側橋詰辺りに石巻市立大川小学校があるのを知ったのはこの文を書いている時‥
『沢山の小学生が教師の判断ミスによって津波に呑まれて被災した』とメディアを賑わせている。
川までこれだけの高低差があれば避難地として判断したくなるかも‥想定外だったようだ‥
崩れた堰堤は鉄板で養生した道になっており、国交省の排水車が排水をしていた。
良く見たらサクラマス狙いの釣り人だ‥ 北上大堰がすぐ上流にあるので、この時期産卵のために遡上するサクラマスが大堰で行く手を阻まれて溜まっているのを狙う人達‥
震災があろうと津波が来ようと、サクラマスは同じ様に遡上をし、被災者がいようと世の中が自粛ムードになろうと日曜の夜明け前から流れに向かって無心に竿を振る釣り人がいる‥
調べたらココはサクラマス釣りの聖地‥
なかなか釣れないのでボクは狙ったコトが余りないけど、釣ったらかなり自慢の出来る対象魚‥
震災があろうと津波が来ようと、サクラマスは同じ様に遡上をし、被災者がいようと世の中が自粛ムードになろうと日曜の夜明け前から流れに向かって無心に竿を振る釣り人がいる‥
調べたらココはサクラマス釣りの聖地‥
なかなか釣れないのでボクは狙ったコトが余りないけど、釣ったらかなり自慢の出来る対象魚‥
やや離れたトコで大きな虹を見た‥
考えてみれば、何処で見ても虹の大きさって一緒なんだよね‥?
考えてみれば、何処で見ても虹の大きさって一緒なんだよね‥?
今回メディアには映されない活気ある仙台の繁華街や被災地の隣で無心に釣りをする人達を見れて安心した‥
人々が活動を始める前に震災被災地を後にして、古川ICから1,000円(燃料費別)で長野に戻る‥。
人々が活動を始める前に震災被災地を後にして、古川ICから1,000円(燃料費別)で長野に戻る‥。