牛歩村日記? Like a snail's pace?

日々平穏に暮らしていれば、自から幸せになれると言いますが‥?いろいろ雑音が‥

『稲村の火』の里を検証‥

『稲村の火』は、和歌山のハナシとは知っていたけど、湯浅町の隣の広川町のハナシだとは案内所でパンフレットを貰って初めて知りました。だもんで、湯浅町を午前中散策した足で午後に広川町の『稲村の火の館』に行って見聞を広めるコトに‥。

『稲村の火の館』は和歌山県有田川郡広川町の濱口梧陵の偉業と精神、教訓を学び受継ぐための施設。イメージ 1 イメージ 2
和風の濱ロ梧陵記念館ゾーンと、津波時には最上階が避難指定地にもなる近代的な津波防災教育センターから出来ている。まずはコンクリート造の施設で津波の恐ろしさや、動画や等を観賞し、記念館で濱口梧陵のヒトと成りを堪能する。

イメージ 3良く知られている『稲村の火』のハナシは明治29年(1896)に小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)氏が、英語によって "A Living God (生ける神)" を著した小泉八雲氏が英語で著作したものをモノを、地元湯浅町出身の小学校教員中井常蔵が昭和9年に教科書の教材公募向けに翻訳・再構成し応募したモノ‥

小泉八雲の時点で史実とはかなりの相違点があり、ボクも色々疑問に思っていたコトが氷解する‥。
もっともネットでせっせと検索すれば直ぐに判る事だったっけど‥
ヤマサ醤油も売っていたので何処でも買えそうだけど、ここでも購入っ♪

『稲村の火の館』を出て、梧陵が4665両という費用全て私財を投じ荒廃した被災地からの住民離散を防為と将来再び襲来する津波に備えての防災事業である象徴の『広村堤防』を見に行く。
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ココは水門です。

イメージ 8小泉八雲が「生ける神(A Living God)」と賞賛したのは、稲村に火を放って人命を救助したよりも、その後の復興の為の資金と事業を提供たコトによるモノが大きい‥。

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『広村堤防』は室町時代に豪族畠山が築いた堤防を、濱口梧陵が同志と大堤防の築造を計画し、4年弱の歳月を費やした完成させた大堤防‥。

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昭和21年(1946)の昭和南地震津波から集落を守る役割を果たしたとのコト‥。

イメージ 9広村堤防と連結される様に海側の埋立地を囲むようにもうチョッと高めの防波堤で囲まれた地区には市役所や住宅地が分譲されている。
東日本震災でも指摘された自治体があったが、市役所と共に街の施設が海岸線に近付いた為に被災した‥。
と言う悪い例の様ですな‥。
濱口梧陵先生のお膝元がコレでは残念です。

イメージ 10港の様子にガッカリしましたが、史実で濱口梧陵先生が住民を避難させた広八幡神社を見に行きました。海岸線からかなり離れた水田の中にポツンと飛び出した小山の麓にあります。
ドウ観ても、逃げるならココしかありませんね‥。
走っても20分位かかるかな?地図で直線1.5km程‥。

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とりあえず参拝です。後日発表された南海トラフ津波到達地点も辛うじてココは外れている様子‥

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流石に有田川郡はみかんの産地だけあって、みかん花がいまにも咲きそうです。

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ココの前面の水田の干藁に火を放って‥被災者の避難路を明示したとの史実を想像しながら助役サマと西の紀伊水道の落日を堪能‥
やっとお腹が減って来たので、湯浅港の『はたよ食堂』へ生しらす丼&揚しらす丼を食べに移動です。


イメージ 17南海トラフ巨大地震津波被害想定】
いくら堤防を高くしても、海岸線から離れなければ‥
最悪を想定しての到達範囲図ナ訳だけど‥

イメージ 18紀伊水道上からの航空写真】
港の一角に埋立地が構築されて市役所が移転して来ている。
市役所の周りには自然発生的に街が形成されてしまう。
それほど昔の事でもないのに、忘れられ同じコトが繰り返されて行く、というコト‥

偉大なヒトは、一生のうちに幾つモノ業績を残すコトが出来る様だ‥(下の資料参照)
これほど尊敬に値するヒトって久しく知らない‥

また、濱ロ梧陵先生の200年ほど前の元禄期には隣町の湯浅出身とされる紀伊國屋文左衛門氏(1669?-1734?)が江戸へのみかんと、その帰り船で塩鮭を海運して富を築いたと言うし‥

【参考資料】

稲村の火の館HP 濱口梧陵の偉業と精神、教訓を学び受継ぐ為の施設
教科書にも載った稲村の火 ヤマサ醤油のHP