牛歩村日記? Like a snail's pace?

日々平穏に暮らしていれば、自から幸せになれると言いますが‥?いろいろ雑音が‥

日和山にて‥

さて、さる3月29日から4月4日までの6泊7日でピースボートセンターいしのまきサンの『いまここプロジェクト』に参加するべく2年ぶりに石巻に来ました。
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集合&オリエンテーションが13時からだったのでチョッと早めに到着し、事務所の場所だけ確認して時間があったので日和田山公園に‥
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長野市から500Kmチョッとかな?給油しておこうと、ナビを見て日和山の南側にスタンドがあるみたい‥日和山旧北上川の間を通って山の南側に来たら‥あらら、何にもないね‥いわゆる瓦礫が片付けられてガランとしていたし‥

給油は後にして日和山に西側の住宅地を通って車で登る‥
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街を散歩する老人も子供達も‥う~ん。当日はかなり恐ろしい体験をしたんだろうな‥
って、ひとりひとりに「ごくろうさんっ‥」って声を掛けてあげたくなる‥けど、迷惑だよね‥
山頂には鹿島御児神社(カシマミコジンジャ)が鎮座し、コトの成り行きを見守っている。
平安時代に建立されて、何度の大津波を見て来たんだろうな‥?100年サイクルなら10回くらいかな?

イメージ 8日和山(56.4m)は、旧北上川の西岸、石巻の町の歴史的中心の至近にあり、平安時代に遡る鹿島御児神社が鎮座する。鎌倉時代源頼朝の家人の葛西清重奥州合戦の恩賞として牡鹿郡を治め日和山石巻城を築いたとされる。葛西氏とその所領は1590年(天正18年)に羽柴秀吉に滅ぼされるまで維持した。
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の際は、多くの市民が山を登って津波から避難したとのコト‥

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石段の上部から石巻湾を経て太平洋の一部が見渡せる‥チョッと天気がクリアーでないけど‥

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この石段を後ろ髪引かれながら登ったのか?手を取り合って登ったのか?われ先にって‥?

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人で溢れてまったく身動きが取れなくて、登るどころではなかったか‥? う~ん‥

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この石段の曲がり角から鳥居を見上げてナニを想ったかな‥? って考え過ぎ‥?

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桜の植樹が多く、あと半月もすればたくさんの花見客で賑わうんだろうな‥
旧北上川の中州の『中瀬』あたりは、かつて北上川水運と千石船による江戸(東京)との河川交通と海運との結節点としての交易によってかなり栄えたという‥。

今回のボランティアは、「お手伝いとしての労働力」を提供する参加者と「現地での寝場所と食事(食材)」を提供する漁師とをプロジェクト事務局がマッチングして、今までになかった滞在型だからこその「かけがえのない交流と体験」を双方にもたらす新しい「ボランティア」のカタチとのコト‥。
石巻を襲う津波の映像とかのビデオとかを鑑賞してベース知識を統一させておく‥

なんて、オリエンテーションを受け皆で分乗して一路牡鹿半島へ‥
途中でさっき寄ったけど、日和山も見物‥ボランティアの事務局のヒトに色々解説して貰う。

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コレから1週間一緒に居るコトになる若者もパチパチスマホ等で写真を撮っているし‥
さてさて、どんな1週間だったのでしょうか‥?

【航空写真による変遷】
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北上川下流の鳥瞰写真】
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北上川下流の治水の変遷】
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