牛歩村日記? Like a snail's pace?

日々平穏に暮らしていれば、自から幸せになれると言いますが‥?いろいろ雑音が‥

急傾斜集落『吉田石間“沢戸・半納”』

 実両親を従えて秩父地方に荒川を遡上して来たのは急傾斜集落としてチョッと知られた旧吉田町石間(いさま)の沢戸・半納の集落を訪問する為‥
吉田町と記憶していたけど、既に秩父市に合併し秩父市吉田となってしまっている‥
皆野から群馬に抜ける県道を走り石間川沿いに更に上る。

この道は林道で城峯山を経て群馬県の神流湖に至るらしい。
暫くすると頭上に沢戸の集落が見えて来た。
一度車で車道の終点まで行き、とてもよそ者の駐車スペースがないとUターンして石間川沿いまで降りて来て駐車。両親は歩きたくないと車に残置‥。

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歩きで車道から集落に入ると、目の前にかつて養蚕で栄えた?家々が目に飛び込んできた。

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多くの急傾斜集落がソウである様に、家々の玄関は車道とは別に徒歩でしか交通が無かった時代の位置にある。つまり車道側には勝手口みたいな出入り口が作られているだけ‥

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この小経はコンクリ&モルタルにて塗り固められており、雑草も生えずに今でも現役に活躍している様子
どうせ石間川沿いから徒歩で来るならコッチのルートで侵入すれば良かった‥

沢戸集落から、石間川を隔てた山肌を眺めると“半納”(はんのう)集落が見える。
車でぐいぐい昇ると集落を抜けて城峯神社まで行ける様子‥
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半納集落は、埼玉産のヒトとして知らなくてはイケナイ秩父事件の有名な史跡でもある‥

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尾根筋に幾重にも集落が見える。 急傾斜集落&畑と聞いていたけどウチの近所の集落も結構急だけど‥

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こんな山奥に見えても標高500m前後で、旧宅よりも低いんだよね‥
こんな山奥に見えても、明治時代に新政府を立ち上げ私年号を打ち立てたヒト達が居たなんて‥

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上州と秩父の山深いトコです。        等高線だけでは急傾斜集落はいまひとつ伝わらないね‥

実は埼玉県民として生まれて『秩父事件』とは聞いてはいたけど、あまりよく知らなかった。
養蚕の盛んだった秩父地方はリヨンの生糸市場との結びつき強く、1882年頃の生糸の大暴落と富国強兵の年々の増税で困窮した。
 自由民権思想に接していた自由党員らが中心となり組織された「困民党」は1884年(明治17年)8月に租税の軽減・義務教育の延期・借金の据え置き等を政府に訴えるため、大宮郷(現秩父市)で高利貸や役所の帳簿を滅失し租税の軽減等につき政府に請願することを目的とした蜂起が起こった。
 10月31日旧吉田町の椋神社で決起集会が行われ翌11月1日には秩父郡内を制圧したが、電信により蜂起を知った政府は、東京鎮台兵(ちんだい=連隊よりも大きな軍隊の単位)を送り鎮圧された。
 その後、おもだった指導者・参加者は各地で次々と捕縛された。とのコト‥
埼玉中央部の丘陵地帯で生まれ育った僕は、さらに山間地の地域を田舎モノって見ていたけど‥
そんな進歩的なヒト達も居たんだなぁ‥
って思うと同時に、ソコまで追い詰められて居たんだなって痛感する次第‥だった。