八ヶ岳の東麓小海町のR141を走っていると『
秩父事件戦死者の墓』の看板を見てチョッと寄ってみる‥。R141は
千曲川の左岸にあるけど、旧道なのか右岸の小道の公民館に車を停めてソコから歩く‥
朝夕は長野県立小海高校の生徒で溢れかえるJR馬流駅の近くから東の山の麓に‥
千曲川に馬が流されて『馬流』って地名になったんだろうなぁ~
神社の脇に墓と言うか慰霊碑がヒッソリ建っている‥
この辺りでも養蚕は盛んだったろうに‥
ソウ言えば助役サマの御婆様のウチもこの近くてお蚕様を飼育していたそうな‥
山を越えて
秩父からか革命軍がやって来て‥さぞかしビックリしただろうな‥
かくまった家の奥さんが制圧軍の流れ弾に当たって死亡したそうな‥
秩父側では山を越えて佐久地方まで進出?進軍?逃走?したって聞いていたけど、ココだったとは‥
糸魚川~
富士川構造線が
フォッサマグナの西縁って言われるけど、小海町を流れる
千曲川は一説では東縁と言われる‥
昔海底だったから“海”って字が入っているのかと思ったけど‥それだと東縁と西縁の間は全て海だし‥
八ヶ岳の
天狗岳って一見
会津磐梯山みたいに山体が一角が無くなっている山があるのだけど、仁和年間に(880~)に起きたとされる水蒸気爆発にともなう大崩落によって
千曲川が堰き止められて大きな『相木湖』と呼ばれていたという。その後寛弘8年(1011年)に決壊して消失‥
下流はドウなったのか?
ソウ言えばこの辺りには○○湖って池みたいな湖が沢山あるのはこう言う訳なのね‥
仁和年間と言えば
平安時代‥仁和
地震は
南海トラフ沿い有名な巨大
地震‥
浅間山の噴火も起きている。
この間の金環
日蝕で
天文学的な時間のスパンを実感?したけど、国土の成り立ちもそんなスパンで考えれば何処に住めば危険なのか‥安全なのか?ってコトも自ずから見えてくる‥? 住むトコなし‥ってコト‥?