正月休みに上野は国立科学博物館で特別展「ミイラ」を見て来たワケだけど、留守番をお願いしていた助役サマにパンフレットを見せたら‥しばらく食い入るように見ていて‥「本草学者のミイラって見たっ?」って、「見たよ」「じゃぁ、胃袋の中にナニが入っていたか知ってるっ?」って‥。「知ってるよぉ、柿の種でしょ‥カテキンを体内に摂り入れるとかナンかで胃袋に沢山入っていたって音声案内でも言っていたよ‥ん?若しかしたら柿の種って‥勘違いしたんじゃない?」ってボク‥「!」って助役サマ‥
パンフレットをみたらチャンと『柿の種子』って書いてあった‥「ほらっ種子だよっ!だいいち江戸時代にまだ銘菓?元祖柿の種のアラレは製造されていないだろう‥?って言うのが今回の疑問の導入ですな‥。
現浪花屋製菓株式会社の創業者今井與三郎氏が、大正8年に、現新潟県長岡市四郎丸にて開発し大正14年に商品化したしたもの‥。当初うるち米で煎餅作りの個人商店を営んでいたが、大阪の青年にもち米での製造を教わり、小判型のあられを手作業から金型で製造していた折り、妻が誤って踏み潰した金型でそのまま使用して焼いたところ、小判型だったアラレが柿の種に似た形になったとのコト‥。だもんで時代が違うよね‥
ん?この本草学者は‥何処のヒトだっけ?って‥ナニも書いていない‥。見落としたか‥ってネットで検索‥‥ない‥。ナニも‥ない‥。さて、本草学者って誰だろう‥?
『本草学』って‥
ソレの学者さんってコト‥。日本の仙人ってコトらしい‥。しっかし、伝えられる弟子まで持っている本草学者って何人も居るモノでもない‥って、検索しても見つからない‥。死亡したのが1832年だったか、弟子がミイラ化した師匠を確認したのが1832年なのか確認を忘れてしまった‥。
〘写真は下記の台東区のHPより転載、種はWebから‥〙
だもんで、科博のホームページから問い合わせを調べて電話したら特別展の事務方のヒトが対応してくれた‥けど、本草学者さんの遺族というか親族のかたの意向で匿名と言うこと‥。どの地方の学者さんかも教えられないとのコト‥。
「柿のタンニンなら種を食べるより、渋柿をガブリって食べまくった方が大量のタンニンが摂取できるのでは?」って質問したら‥研究員が応えてくれるかもしれないのでフォームからメールにて質問してみて下さい‥って‥。で、シコシコ質問状をメールする‥けど、いまだ返答がない‥。
肛門からも種を押し込んだ‥って書いてあったから、痛くなかったのか?柿の種の殻は剥いたのか?それも、肌が赤くなる程だから‥凄い量なのか?胃袋に溜まっている柿の種子の量だって、ミイラの痩せ具合から大量の柿の種子でないと勝手に思っていたけど‥。量によっては胃袋の位置がポコッってしちゃうよね‥。コレだって殻は剥かなきゃ摂取し辛いのでは‥?柿渋風呂の桶にでも漬かったらもっと吸収できたのでは?って
今回はミイラ展ってコトだったけど、天皇さまも未だに火葬ではないはずだし、そもそも天皇陛下御一族は国民ではないし‥土葬なのかミイラなのか朱で固めてあるともいうし‥。死体についても展示とは言わないにしても考察してみたいね‥。そもそも、土なんて死体の有機物なんだろうし‥、化石燃料だって同じことだよね‥?
はやく返信来ないかなぁ~。 「コメントは差し控えさせていただきます‥」って来るかなぁ~流行っているからなぁ~。
ボクもナニも後世に残さないで死ぬんだったら‥ミイラになってみる勉強して仏サマになるのも悪くないかな‥?って怒られるかな?誰に?でも、結構独居老人とかネグレクトとか現代でも現代なりのミイラってよく耳にするけど‥ミイラとミイラ化の違いなのかな?
【追記2020.01.22】
科博の質問サイトからの返信がありました。研究者さんから展示の事務の方の手(メールの転記)を経て返信されました。文体は丁寧でしたが内容としては、草本学者さんの遺族の意向でナニも教えられないとのコト、ソレを条件での展示とのコトでコレは当たり前と言えば当たり前で、太平洋側なのか日本海側なのか等のコトもなにも教えられないとか‥。柿の種子に関しては口から摂取して胃袋と食道、肛門からかその周辺で、肌の赤褐色はカテキン成分を塗ったのでは?との見解が書いてあったかな‥。展示の説明では食べ過ぎて赤くなった様に読み取れたけど‥。
ちゃんと返信が来て好印象で、少しお得な気分になりました‥。今度は常設展もゆっくり見たみたいな‥