牛歩村日記? Like A snail's pace?

日々平穏に暮らしていれば、自から幸せになれると言いますが‥?いろいろ雑音が‥    副題は他国のヒトにもみて貰えるかなぁ~って‥?Fortune smiles on a merry home

想ぃでぇ語ぁってぇ赤坂ぁ~♪ 『赤坂橋』千曲川

この間、木下映画作品内で千曲川の昔の橋梁景観を堪能したんだけど、ソー言えば『赤坂橋』もついこの間まで橋の踏板は一部木製だったし‥。

撤去されても、先々代の木製橋桁は千曲川の水位が下がれば見えるんだな‥
でもこれは少し下流の松代大橋の先々代橋の寺尾橋の木製橋桁もチラホラ見える‥

実際、先代の赤坂橋は対面通行?だったし、取り付け道路は河川敷内の長芋畑の細道はジグザグで擦れ違いもままならないし“ベト※”被っていて車汚れるし、見通し利かないし、婦女子じゃ車ごと襲われちゃいそうだし‥って‥実際2回位しか渡ってないかも‥。アレが県道だったんだね‥。ある意味凄い‥
(※長野県で言う土の意味:チョッと粘度の高いベトベトって語感があるけど、ソイル全般に使う)

ソー言えば旧冠着橋だって片手も渡ってないかも‥橋の上に信号あって時間かかるから避けたんだねぇー
と思えば勿体なかったかも‥

長野市松代地籍と篠ノ井東福寺地籍を結ぶ橋で‥』って言うけど、千曲川を南に渡ったトコはまだ篠ノ井なんだよね‥。住宅地図とかの地名を良く見れば判るけどね‥

そもそも、寛保2年(1742)に起こった千曲川の大洪水いわゆる『戌の満水』で一帯は未曾有の大惨事になったとのコトで延享4年(1747)松代藩千曲川の流れの『瀬替え』に着手し、宝暦10年(1760)ころ現在の流れになったらしく、その以前の小森村かな?の地積が残っているんだね‥
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ボクが借りていた畑もそんな旧河道の現品賞与で真田の御殿様から払い下げられた大家さんが258年(※2018-1760)耕作してきた土地ってコト‥ですな‥

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先々代の赤坂橋ですな‥。車も軽量だったから渡れたのかな?

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先代の橋が出来て、新旧並んで撮影されています。三代渡初めとかやっているのかなぁー
実母の実家では、荒川の御成橋の渡初めを先頭切ったってよく自慢されたっけ‥

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先代の橋梁の時代がかなり長いです‥。

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長芋畑をジグザグにアプローチしてチョッと夜は怖いです

イメージ 16先代の橋は昭和31年(1956)竣工らしく平成22年3月に撤去されました。
左写真は、まだ残っていた頃の橋脚ですな‥

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国土地理院の地形図も紙から電子媒体になってしまった‥。ボクは今回の過去地形図は県立図書館でコピーをとったモノ‥

イメージ 15現赤坂橋はかなり時間を掛けて架橋された感じ‥。ボクが長野市に越して来た頃は、まだ先代の赤坂橋だったし、長野マラソンのコースも工事個所を迂回した様な‥
なんとも味気のない橋梁になったモノ‥永久橋ってそんなもの‥

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橋詰の高欄に施工会社が設置した過去の写真‥。立ち止まるヒトは少ないだろうケド‥

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現橋梁の下流に減水時に先先代の木製橋脚がチラホラ見える‥

第四次川中島合戦での渦中の地にある橋なんだけど、なんで『赤坂』なのか判る資料に辿り着けなかった‥。
チョッと木下組のロケハンのお眼鏡には掛からなかったんだろうな‥(^o^)/