この間、木下映画作品内で千曲川の昔の橋梁景観を堪能したんだけど、ソー言えば『赤坂橋』もついこの間まで橋の踏板は一部木製だったし‥。
実際、先代の赤坂橋は対面通行?だったし、取り付け道路は河川敷内の長芋畑の細道はジグザグで擦れ違いもままならないし“ベト※”被っていて車汚れるし、見通し利かないし、婦女子じゃ車ごと襲われちゃいそうだし‥って‥実際2回位しか渡ってないかも‥。アレが県道だったんだね‥。ある意味凄い‥
(※長野県で言う土の意味:チョッと粘度の高いベトベトって語感があるけど、ソイル全般に使う)
(※長野県で言う土の意味:チョッと粘度の高いベトベトって語感があるけど、ソイル全般に使う)
そもそも、寛保2年(1742)に起こった千曲川の大洪水いわゆる『戌の満水』で一帯は未曾有の大惨事になったとのコトで延享4年(1747)松代藩は千曲川の流れの『瀬替え』に着手し、宝暦10年(1760)ころ現在の流れになったらしく、その以前の小森村かな?の地積が残っているんだね‥
ボクが借りていた畑もそんな旧河道の現品賞与で真田の御殿様から払い下げられた大家さんが258年(※2018-1760)耕作してきた土地ってコト‥ですな‥
ボクが借りていた畑もそんな旧河道の現品賞与で真田の御殿様から払い下げられた大家さんが258年(※2018-1760)耕作してきた土地ってコト‥ですな‥
先々代の赤坂橋ですな‥。車も軽量だったから渡れたのかな?
先代の橋が出来て、新旧並んで撮影されています。三代渡初めとかやっているのかなぁー
実母の実家では、荒川の御成橋の渡初めを先頭切ったってよく自慢されたっけ‥
先代の橋梁の時代がかなり長いです‥。
長芋畑をジグザグにアプローチしてチョッと夜は怖いです
先代の橋は昭和31年(1956)竣工らしく平成22年3月に撤去されました。
左写真は、まだ残っていた頃の橋脚ですな‥
左写真は、まだ残っていた頃の橋脚ですな‥
現赤坂橋はかなり時間を掛けて架橋された感じ‥。ボクが長野市に越して来た頃は、まだ先代の赤坂橋だったし、長野マラソンのコースも工事個所を迂回した様な‥
なんとも味気のない橋梁になったモノ‥永久橋ってそんなもの‥
なんとも味気のない橋梁になったモノ‥永久橋ってそんなもの‥
橋詰の高欄に施工会社が設置した過去の写真‥。立ち止まるヒトは少ないだろうケド‥