牛歩村日記? Like a snail's pace?

日々平穏に暮らしていれば、自から幸せになれると言いますが‥?いろいろ雑音が‥

熱田神宮詣り

チョッと前まで伊勢神宮の位置は知ってても、熱田神宮の位置は良く知らなかった‥
近付いてみると、おおっ!我が街を走る国道19号っ!そっか!R19はココ熱田神宮のR1交差点から長野市のR18交差点までなんだね。なんか親近感‥ ん?隣に‥『日本最古秋葉山』ってなんだっ?
イメージ 1 イメージ 2
秋葉山 圓通寺』といい日本最古唯一?の秋葉大権現ご出現の霊場で、千八百年程前草薙剣を奉齊した熱田神宮の境内に日本武尊を火難から救い、秋葉大権現を祀られたのがはじまりとのコト‥。あちらの秋葉神社と同じく毎年12月16日に秋葉大祭火渡り神事が行なわれ、大護摩の火が燃え盛る中を裸足で渡る勇壮な神事があるそうです‥。アッチも見たいけど、コッチも観たいっ!(動画多数あり)

さて、熱田神宮です。朝早いので駐車場もガラガラです。結婚式場も併設されていて厳か?です‥
あんまり広いので、よく地図を見て参道を探して木立の中を歩きます。さすがに大きな木が多いですな。
イメージ 3 イメージ 4
右の『信長塀』は織田信長が戦勝祈願を前夜熱田神宮で執り行い、翌日桶狭間にて今川義元を討ち取ったお礼として寄進したと言う。土と石灰を油で練り固め瓦を厚く積み重ねた構造とのコト。
しっかし、戦勝祈願って‥勝つコトを祈願するんだろうけど、“殺すぞっ!”って祈願するんだからソレの手助け?をする神様っていったいなんだろうね‥

イメージ 13
熱田神宮三種の神器の1つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)をご神体とし、景行天皇43年(AD113)創建とされ、2013年(平成25年)は創祀1900年とのコト‥。スゴイっ!

イメージ 5
第12代景行天皇(日本武尊の父)の時代に日本武尊が東国平定の帰路に尾張へ滞在した際、尾張国造乎止与命(おとよのみこと)の娘(宮簀媛命)と結婚し、草薙剣を妃の手許へ留め置いたとのコト。

イメージ 6日本武尊伊勢国能褒野(のぼの)で没し宮簀媛命は熱田に社地を定め剣を奉斎鎮守したとのコト‥。
ってコトは、三種の神器のうち草薙剣熱田神宮にあるってコトなんだね‥。
南北朝時代に、後醍醐天皇により国家の宗祀とされる。
戦国時代、織田信長桶狭間合戦の前に戦勝を祈願し、勝利を収める。
明治元年に神宮号を宣下されて熱田神社から熱田神宮に改める。

イメージ 7明治4年熱田神宮には「三種の神器の一つを祀っているから、伊勢神宮と同格であるべきだ」という主張があり、同年7月に伊勢神宮に準じた待遇にするよう政府に請願したが請願は却下され、明治22年伊勢神宮に準じた神璽勅封、権宮司設置などが認められたとのコト。

イメージ 8それまで熱田神宮尾張造で建てられていたが、神明造による社殿の造営が明治26年竣工したが太平洋戦争の空襲により焼失。
昭和20年の終戦直前、神体の草薙剣を守るために飛騨一宮水無神社へ一時的(8月21日-9月19日)に遷座が行なわれたとのコト。
社殿は伊勢神宮式年遷宮の際の古用材を譲り受け、昭和30年に再建された。新築のため、文化財に指定されていないとのコト‥。

ふ~ん‥勉強になるね‥
御神体がを飛騨に遷座させているんだから、見たコトないけど少なくとも『草薙剣』って神器は存在するんだねぇ。スサノヲ命(須佐之男命)が出雲国で倒した八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の尾から出てきた太刀でってコトで‥。またまたぁ~そんな神話(なんだけど)みたいなぁコトをだいの大人が信じてぇ~!?
って、今でも思っているし、ウチの近所の善光寺なんかも“絶対秘仏”って誰も?見たコトない御神体を祭っているし‥。う~ん‥少なくとも入れ物は存在するらしい‥ね。

そもそもR1とR19の交差点は、旧東海道美濃路の分岐に当ります。東海道はココ宮(熱田)宿の渡しから海路を七里(27km)ほど舟で行き桑名宿に入ります。
   イメージ 9    イメージ 10
宮宿(熱田宿)は東海道五十三次の41番目の宿場で、中山道垂井宿に至る脇街道美濃路』や『佐屋街道』との分岐点でもあり、大変繁盛したそうな‥。

イメージ 11歌川広重東海道五十三次・宮宿」
神宮の祭りに出る駈馬(かけうま)を描いており、この祭りの馬には神が降臨されているとされ、二頭駈けさせ、その早さでその年の豊作などを占ったとのコト。
かがり火の中での勇壮な祭り
そうそう、意外と祭りは夜間行なわれるんだよね‥

イメージ 15歌川広重「隷書東海道・宮」
宮宿と桑名宿の間に『七里の渡し』があり、江戸時代は水難事故も起こりやすい難所とされており、東西を移動するのに遠回りであっても海路を避けられる美濃路が好まれたそうな‥。天候不順で船を出せないとか、船ぎらい、船酔などを考慮し、この渡しを避けて陸路を行く者もいた。方法は佐屋街道で桑名宿へ行く方法(最終的には木曽山川は舟で渡るし‥)、美濃路を利用して垂井宿まで行き中仙道経由で京まで行く方法があるソウな‥。

イメージ 12歌川広重東海道五十三次・桑名宿」
桑名湊の渡り口を描いており、旅の疲れを癒しのんびりとした気分に浸るうち、桑名城のやぐらが目に入ります。木曽三川の河口の重要な港であった様子が、大型船の描写に偲ばれます。
 そう言えば、歌川広重ってボクの子供の頃って言うか永谷園の景品時代は安藤広重って言ってたのに‥“安藤”は本姓“広重”は号で、両者を組み合わせて呼ぶのは不適切でコウなったみたい‥。ちゃんと謝罪(故人に)と訂正して欲しいよね‥。もう一人居るんかと思っちゃうじゃない‥!

イメージ 14ん?ソウ言えば‥先日、石巻牡鹿半島にボランティアに行った時に立川一門を破門させられそうになっている立川春○サンが一席やってくれたんだけど、その時のハナシがこの七里渡し船中の『鮫講釈』だったなぁ~。
そんな時代考証?を思い浮かべると、古典落語もなんだか“より”楽しいものになって来るね‥
(「鮫講釈(兵庫船)」って立川流の十八番(おはこ)みたい‥)

いいハナシ聞きました。彼には有名になって自慢させて欲しいねっ♪なんだか飲んだくれだったけど‥
【参考】 熱田神宮HP