自宅から見える里山を歩けば、その歩いた記憶とそこからの景色で、日々眺める山々に‥『見える稜線を知っている‥』『アソコからの眺めを知っている‥』って、意味合いが変わってくる‥。そんな意味でも、肥満解消でも、日没後に真っ暗の畦道を走るより、陽の当たる枯葉に埋め尽くされた山道を掻き分けて歩くといろいろ感じられる‥。
だもんで、今度は日本史の教科書にも長野県なら登場するかな?歴史の舞台になった山道を歩いて見た‥。もっとも、地球上に歴史の舞台になっていない箇所など何処にもないのは言うまでもないけどね‥。
象山神社の駐車場に車を停めて出発です。大正時代に地元の有志で創建された幕末の偉人と言われるけど、実はかなりの嫌われ者だったという佐久間象山さんを祀っています。地元では『ぞうざん』と呼ぶけど全国的には『しょうざん』と呼ぶ‥。なんで?
象山は、阿蘇で言えば『寝観音』みたいな‥印度象が鼻を伸ばして俯せて象使いを背に乗せる姿勢のような形状で名付けられたのでは?って思っているけど‥。鼻の端部からも山道はあるのだけど、一般的に遊歩道になっているルートから歩く‥。
少し歩くと長野市の上水道の給水施設がある。ココからの位置エネルギーがボクのうちの水道水の水圧になっているのかな?山の向こう側の清野に上水道課の施設もあるね‥
先週行って来た旧宅の裏山が真っ白に光っているし‥。スキーをやらなくなると、雪山なんて何でもない‥。"見えるな‥"って感覚だけ‥。想えば旧宅に越して来た頃もアノ稜線をせっせと歩いて、稜線から小さな谷筋の村を見下ろして、同じように思ったモノ‥
この間歩いた‥里山ですな‥右の尖っているのが『ノロシ山』でその左のプリン状の山が元火山の『皆神山』山頂の神社関係者はピラミッドだった‥って信じているとか?
ちなみに最近毎日山頂まで駆け上がっているのが‥この皆神山ですな‥.もちろん山頂までAs舗装路を走りますが‥
テレビ電波塔のフェンスと前に強制労働で駆り出されたイノシシ避け柵のゲート‥
グイグイ象山の尾根の高度を稼いで‥稜線沿いですな‥。左に折れて『御姫山』へ‥
山頂で作って来たおにぎりを食べます‥。遅い昼食ですな‥。ソウソウ、今回からトレッキングシューズを履きました。前回までジョギングシューズだったんだけど、枯葉が靴に入るしツルツル滑るし‥。だもんで、何年か前に巻機山でソールがペロリと剥がれたんだけど、小西六の接着剤で貼り付けて‥。なんとか騙し騙し‥。まだまだ行けそう
汗が乾く前に下山です。太陽が低くなって来て尾根道の陰影が綺麗ですな‥。下山ルートは、象山への尾根を戻らないで、謙信が陣を張ったという妻女山を経ることに‥
このルートは、川中島第四次合戦って、この辺りでは呼んでいるのかな?有名な『啄木鳥戦法』って言うのかな?1561年の今の暦で10月下旬の夜に、武田家臣の高坂昌信・馬場信房らが率いる別働隊1万2千が謙信が陣を張る妻女山に向ったとのコト‥。12,000の人馬がこっそり移動なんて‥この道を‥ホントかな?って改めて思う‥
鞍骨山山頂ですな‥。見下ろせば千曲川と上信越自動車道が並走して‥右端の白い建物が長野IC辺りで、その手前に海津城ですな‥。千曲川は1742年の『戌の満水』後に瀬替えをして現在の流れになった訳だけど、その前はこの間まで借りていた畑辺りが旧河道だった訳なんだよね。御褒美が払えないから埋立した河道を畑として現品賞与ってコトだったみたい‥。
そんな鞍骨山にも砦があったみたいで石積みが残っています。赤布の印がないとチョッと踏み跡も判りません‥。
元長野県警の中澤署長の描いた絵地図を見ながら歩いていましたが、鉄塔があったので見上げていたら、足元のコンクリ杭で脛を殴打して独りで転んで痛かった‥。中澤元署長の絵地図はなかなか便利です。元署長は無事退職されて、外郭団体に天下りされたようです。それと同時なのか、ソレまでWebで見られた絵地図が公開を取りやめて、紙の本での販売になりました‥。
尾根の反対側は千曲市の『あんずの里』があるんだけど、アッチからのハイキングコースの看板が多くて間違えやすい。アッチの看板しかない‥
ココから見える塩崎方面の千曲川も江戸時代に瀬替えした辺りですな‥。武田別動隊が到着する前に謙信の13,000は旧河道の『雨宮の渡(※この尾根の写真方向に降りたとこ辺り)』を渡って八幡原に回り込んだ‥とか‥
いつしか陽も暮れたけど、山道は林道に‥。
月がのぼって来ました‥。妻女山辺りの林道の分岐ですな。左に行くと象山の尾根のテレビ電波塔まで行けるんだっけな?
妻女山から海津城方面を見下ろします。城で飯を炊く煙がいつもより多く上がっているのを見て、『んっ!明朝に攻めてくるっ!』って判っちゃった‥なんて書いてあったけど、そんなモノなのかな?しっかし、この妻女山に謙信勢が13,000膠着状態で陣を張って居たって‥う~む‥。馬も居たんだよね‥。ホントかな?
右写真は、爺ケ岳と鹿島槍ですな‥。
川中島って言うか八幡原を見下ろせる展望台があります。結構傷んでいます‥。いつの間にか真っ暗‥。武田の別動隊が到着したら、既に下山していたってコト‥
そんな歴史の名所も高速道路が突き抜いています。知っている道で良かったけど、こんなに早く真っ暗になるとは‥。廃止された長野電鉄屋代線跡地が途中から遊歩道になっていて、ソコを少し歩いて象山の尾根の末端の離山麓を通って象山神社に戻りました。自転車をデポしておけば妻女山からスルスルと位置エネルギーで降りて来れたのに‥。まぁ、‟ダイエット&見聞”の企画なんで良しとしましよう‥。
【参考時間】
象山神社13:10~象山13:30~無名峰14:30~御姫山14:51(休憩)~無名峰15:19~鞍骨山15:30~天城山16:00~妻女山16:50~R40617:10~象山神社17:50疲れた‥
【参考】昼間の妻女山
川中島合戦って言えば、子供の頃に観た三船敏郎主演の『風林火山』で目玉に矢が刺さる‥あのシーンしか覚えていなかったけど‥ソウ言えばこの間の台風19号での大水で『勘助の墓』なんか思いっきり水没したんだろうな‥。今度見に行こう‥
どうも合戦の人馬の数とか嘘っぽいよね‥。ドラマや映画じゃそれ程のエキストラは集めていないし、チヤンチャンバラバラのシーンしかやらないからドウやって陣を張って寝泊まりしたのか?どうも眉唾って感じているのは今も変わらずだな‥
文字が小さくて判らないね‥まぁこんな感じ‥