牛歩村日記? Like a snail's pace?

日々平穏に暮らしていれば、自から幸せになれると言いますが‥?いろいろ雑音が‥

武蔵一宮氷川神社と想い出ポロポロ‥

 父の実家の墓参りから母の実家の墓参りに向かう。
両親は当時の国鉄沿線の住人で、東武東上線の私鉄沿線出身とはチョッとって言うかかなり文化が違う。
両親の上京時の都内への入口は赤羽経由の上野だったり東京であるのに対して、僕らは常に池袋ってコト
まぁ、車やバイクで都内へのルートを増やしたのでかなり感覚は変わったけど、高校生くらまでで構築される文化感?って言うのかな‥。チョッと両親とは違うんだなぁ~って、ずっと思っていたし‥。

イメージ 1そんなコトを考えながら、往路に使ったR17号の新大宮バイパスよりも急いでないので所謂『産業道路』で北上ですな。埼玉県東部の人達が『産業道路』とかR122号線を「ワンツゥツゥ」(コレは最東部の住人が使う)言っているのを見るとなんだかローカル感があって微笑ましい。

 『産業道路』だって全国に点在しているのに‥。戦前に増加する旧R17号(中山道?)の代替として並行させて建設をはじめ、昭和30年代に完成したそうな‥。父が運転して川口や浦和に爺婆のお見舞いやその後の墓参りは常にこの道を使って来た。並行して『第二産業道路』って言うのもあったらしい‥。父の助手席で大好きなミリオン出版かなんかの道路マップを眺めながら同行したモノ‥。

イメージ 2この間読んだ浅田次郎氏の『一路』って参勤交代のハナシのなかで‥確か『氷川神社の境内(参道?)で領主と反領主派との間でとうとう表立った殺傷沙汰があった』ってくだりがあったのだけど、氷川神社は行った(参拝した)コトないし‥。関東地方での初詣者数も常に上位だし‥

 産業道路から新しい大宮サッカー場方向に左折して‥。上手く駐車場に入ったらナニやら社殿のすぐ近くだった。父は牛歩でしか歩けないので母に託し、僕は気になったいた参道をチョッと戻ってみようと、スタコラ歩き出す。

ところが何処まで歩いても参道の並木が終わらない‥。駅前通りを過ぎてもまだ続く‥
イメージ 3しばらく歩くと周辺案内図があった。
むむっ!なんとこの参道は大宮駅と与野駅との間に出来た新駅辺りまで続いているらしい‥。
コレではさすがに牛歩の父も参拝を終えて車に戻って来てしまう‥。
ってボクも戻るコトに‥
いやぁ~かなり歩いちゃったな‥

今年の秋は台風と秋雨前線でなかなか晴れた日がなかったけど、この日曜日は暑かった‥
大宮市民も久々の晴れ間を参道の公共空間で楽しんで居る。

イメージ 4想えば半年くらいかな?大宮の法律関係の事務所で測量と土地建物の登記書類作りの仕事をしていたことあったな‥。その時にパートナーって感じの同居していた司法書士事務所の司法書士が乱暴モノで、若い男女8人位使っていたけど、書類のミスとかあると良く電話とか書類とか投げて怒っていたなぁ~。

イメージ 5パワハラなんて言葉はまだなかったけど、個人事務所だしこんなモノなのかなぁ~って‥。その乱暴モノは「ウチは銀行員より高い給与を払っているっ!」って二言目には言っていたかな?元銀行員?
いい金貰えるから、若い衆(当時のボクも若かったけど‥)は頑張って耐えていたんだなlぁー
って、思い出した‥。
そんな乱暴モノのセンセイ(司法書士)事務所と連れだって年末に熊手を買いに氷川神社に来たコトあるぞ‥?
参拝しないで出店で帰って来たかな?ウチの事務所はお付き合いだったから、途中で帰って来たかな?

イメージ 6そんなコトを想い出しながら、両親が待っているんでスタコラ‥
熊手の屋台がずらっと並んでいたけど、同じ参道なんだろうなぁー。賑やかだったなぁー
調べたら『十日市』って言うらしいね‥鳥神社と関係がないため、
“大歳の市”と呼ばれることもあるようですが、12月10日だって‥ソウだったかなー“酉の市”ですな

イメージ 7美味しそうな煎餅屋ですな‥『手焼岩せんべい小林屋』だそうだ‥。ガラスの容器にたっぷりの煎餅がディスプレイ‥。
ボクの子供の頃から思っていたけど、ナニも個別包装でなくてもいいけど、コレって湿気やすいよねぇ~。
店に入るとヒトの良さそうな老夫婦が働いている。
ウチの両親にはチョッと“岩”せんべいは堅そうなので、助役サマにお土産かな?って珍しそうな個別包装煎餅を2枚ずつカゴに入れて入れて‥って思ったけど、1枚を半分づつにした方が2倍の種類を買えるって、奥さんの目を盗みつつ棚に戻す‥。
旦那さんは個別包装の煎餅をひとつひとつ熱圧着して集中している‥。

イメージ 8チョッと歩けば今度は甘味処‥。『名代氷川だんご』だそうな‥。
団子は串で喉を指すと危ないし‥ね。
何年か前の綿菓子を食べながら転んで割り箸で喉から脳を痛めた子供さんのコトを想い出すと身震いしちゃう‥
ん?『氷』の看板を見て‥?信州の天然氷?長野に天然氷を作っているトコなんてないぞ‥
店主に製造所を訊いて帰宅後調べた。『天然水を使用した氷』ってコト‥ソウ言えば看板も『天然素材氷』ってチョッといや良く読めば間違えないね‥宮下製氷冷蔵㈱
『信州伊那谷地下250メートルから天然水を組み上げ使用している。
天然の氷の原理に最も近いと言われるドロップチューブ(缶製氷)製法?
▶凍結速度を抑えた製法により、不純物を99.99%排除し高純度な氷
▶同製法により、結晶粒を非常に大きく成長させ、透明で固く解けにくい氷  ってコトらしい‥
では‥天然水って‥きりがない‥

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こんな参道だけど、巨木がかなり多く場合によっては強風や台風で倒れたり枯枝が落下したりするんだろうなぁ~?切り株は見るけど、新たに苗を植えている気配がないかな?気が付かないだけかな?

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やっとのコトで車を停めたトコまで戻って来たら‥両親が石に座って途方に暮れていたよ‥
「ごめんごめん‥じぁ参拝して来るねっ」って‥散々待たせて?かな?これから参拝ですな‥ごめん

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ちなみに参道と並行する中山道はその昔は一部が参道と共用されていたとのコト‥
徳川家康が江戸に入ると、文禄5年(1596年)伊奈忠次を奉行に造営を命じ、幕府からは社地三百石が寄進される。江戸初期の中山道は大宮宿の南で参道を使用していたが、伊奈忠治(関東郡司、伊奈忠次の次男)が、参道を街道とすることは恐れ多いとし、寛永5年(1628年)に西側に街道を付け替え、参道沿いの宿や家およそ40軒を新設街道沿いに移転させ、これが現在に至る大宮の町となる。‥とのコト

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ココの氷川神社は、この辺りに約200社ある氷川神社の総本社で、須佐之男命、稲田姫命大己貴命を祀っている。実家の近く坂を下った農村部に金谷氷川神社があり、餅つき踊りが無形文化財になっているんだけど(ボクは見たコトは無い)、その昔散歩中の父が境内で徒歩で日本を一周している大学生が居たらしく話し掛けたら大学の後輩ってコトが判って自宅に連れて帰って風呂に入れてあげたコトがあったらしい。懐かしいね‥。そんな実家近くの氷川神社の周りに大晦日には晦日払いが多く見られたりして‥

あと、小ネタとして
横浜港に係留されている氷川丸の船名は大宮氷川神社に由来とのコト‥。ブリッジの神棚には氷川神社の祭神が勧請され、保存船となった後も氷川神社を祀っているとのコト‥。日本郵船の姉妹船には二隻(日枝丸、平安丸)があり、日枝神社平安神宮を祀っているし‥。
ソウだったんだねェ~日本郵船氷川丸について

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社殿の西側に須佐之男命が退治した八岐大蛇から名をとった『蛇池』という、大昔にこの地に広がっていた『見沼』の水源のひとつだそうで、この湧水があったから氷川神社がこの地に勧進されたってハナシ
“獅子脅し”が西日の中で静かに響いていた‥かな‥。かなり改良工事がされていたよ‥

大宮公園は見沼を埋め立てて造成され、当時の入江や池がそこここに残っている。
明治政府が神社の領地分を国有地にした。後に埼玉県営となり、野球場等のスポーツ施設等が開設される。1980年(昭和55年)に「第二公園」が芝川の治水対策として調節地を中心に整備された。2001年(平成13年)には「第三公園」が開設され、合計67.8haとなっている。
広大な湿地を田畑、後に宅地にした為の治水に利用されているとのコト‥。

ここの現『NACK5スタジアム大宮』はその昔『大宮サッカー場』って言われて東京五輪でのサッカー会場で、昔は高校サッカーって言えば国立競技場でなくてココだったんだけどねェ~。ボクも小学校の時のサッカー少年団の決勝戦をココでやって優勝してみんなで優勝カップでコーラをがぶ飲みしたんだよねぇー。ああ懐かしい‥。

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桜の名所なんだねぇー。今年に入ってからは“ポケモンGO”のなんだか集まる場所らしく人だかり‥