ホントは富山方面の海に行くつもりだったのだけれど、途中で色々時間を費やしているうちに止めて‥
名所巡りに変更‥
名所巡りに変更‥

右岸側から車道を走っていたら、どんどん左岸が近付いて来たら写真で良く見ていた愛本橋が現われた。

愛本のこの地に、初めて橋が架けられたのは寛永三年(1626)で打渡橋であった。その後、寛文二年(1662)に加賀藩の五代藩主前田綱紀が、笹井七兵衛正房に命じて刎橋を作らせた。
両岸から大木をはねだし、中央部でつなぎ合わせるという橋脚のない刎橋は、周囲の景観ともよく調和し、儒学者の頼三樹三郎をはじめ、多くの文人などの賞賛を受け、錦帯橋(山口県)、猿橋(山梨県)とともに日本三奇
橋の一つに数えられていた。

現在は約60m下流に鋼ニールセン系ローゼ桁橋、橋長130mの近代的な橋として生まれ変わっている。幅は歩道を含めて8.5mである。昭和47年7月に竣工した。
平成22年3月1日 黒部市教育委員会


先代までの愛本橋があった橋詰位置(右岸)には『錦龍閣』という料理旅館があって廃業しているみたいだけど、電源業者、水利業者が多く宿泊飲食いしてたいそう潤ったモノと思われますな‥。横にあるのは旧館か従業員宿舎か?

愛本橋両岸にそびえる300-400mの山地は“リソダイト”という流紋岩類からなっており、この緻密で斑晶をほとんど含まない硬岩は、浸食が進まず地形的に谷幅が狭くなっているってコト‥。
この黒部川の山間地から平野部に出て来る位置の最狭部に架橋したと言うコト‥。

『錦龍閣』右岸の旧道らしき道を下り新橋の下を潜る‥。


橋の下に河川監視の為の小屋があり、監視人サンに色々お話を伺う‥。


愛本橋は典型的な『ニールセン・ローゼ橋』アーチ部材と補剛桁の間に斜めに張ったケーブルを配置した形式とのコト‥。『ローゼ橋』とは補剛桁とアーチ部材の双方で曲げモーメントを分担する補剛アーチ橋とのコトだけど、アーチ部材と補剛桁がほぼ同程度の部材厚を持つことが外見上の特徴とのコト‥。


ニールセン・ローゼ橋の特徴の斜めに張ったケーブルだけど、昔の小学校の窓枠とガラスの間を充填していた粘土状のパテが塗られていて、チョッとベタベタします。


左岸側に渡って、冬季の歩道を見つける‥。関電の施設の様な冬季歩道は通学路の為なのかな?


辺りは『愛本のウラジロガシ林』富山県指定天然記念物常緑樹のウラジロガシの北限とのコト‥
国と県、既得権者の水利組合で開発し捲っているんで、県が天然記念物に指定して、他の権利者に抗って開発の主導権を得ようとしているのかな‥?


先代の橋梁はこの辺りから対岸に架橋されていたみたい‥。


良く見れば現愛本橋の塗装は2001年に塗り替えられているみたいだけど、1972年以来初めての再塗装?

ガンガン流れて水面から涼しい風が吹いています。
2010年あたりの北國新聞には『「愛本刎橋」復元へ一歩 黒部市‥』みたいな記事もあったみたいだし‥
せっかくの三大奇橋なんだから『猿橋』みたいな扱いで遊歩道として復元して旧街道としての観光資源として欲しいモノだなぁ‥。現愛本橋からもまじかに見えるし‥
せっかくの三大奇橋なんだから『猿橋』みたいな扱いで遊歩道として復元して旧街道としての観光資源として欲しいモノだなぁ‥。現愛本橋からもまじかに見えるし‥
近所のうなづき友学館に旧愛本橋の1/2模型(延長&縮尺)があるらしいのでコノ足で観に行きますよ‥。

GoogleMapの3Dで眺めるとなるほど扇頂って判るね‥