牛歩村日記? Like a snail's pace?

日々平穏に暮らしていれば、自から幸せになれると言いますが‥?いろいろ雑音が‥

泥だしボランティア

仙台のキリスト教教会の主催で被災地家屋の泥だしボランティアの作業に向かう‥
イメージ 2【写真:有志から融資された食糧たち】
朝は7時30分頃から食事‥有志でオニギリと味噌汁が準備されている。オカズも少々‥
食器は各自洗う。洗い方や収納する場所は長くいるヒトに教わるかする。
8時30分からミーティング。青葉区の官庁街から自転車で津波の被害に遭った若林区七郷(しちごう)笹屋敷地区に行って住民の希望に合った作業を提供する。

 

ミーティング後、教会主催なので短くお祈りをする。最後に『アーメン』って合唱するのだけど、タイミングが判らない‥。歌舞伎で『成田屋っ!』って声を掛けるタイミングに似ているのか?
(2日も居ればタイミングはばっちり測れるようになる‥)

 

自転車で向かうので班分けをする。12km以上の行程を30人位のヒトが自転車で向かう。

 

なぜ自転車か?(何度か説明があったはずだけど、ちゃんと理解しているか自信がないが‥)
→震災後、津波に被災した若林区に自転車で駆け付け‥(自転車しか交通手段がなかった?)
まだ海水の引かない交通規制された地区の入り口で「お手伝い出来る事はありませんか?」って慰問を続け、三顧の礼でなんとか地区に入れて貰った‥
ってコト‥ キリスト教集団であるため、信仰心を持ち合わせない日本人は宗教!?ってだけで差別視して信用されなかった‥と言われたという。

 

イメージ 1だもんで、その名残でゾロゾロ自転車で“出勤”するコトに‥
震災後の仙台市内は自転車で通勤するヒトがかなり増えたとのコト‥
そんな青葉区の官庁街?を自転車で快走‥
この時ボクは生まれて初めて『電動アシスト自転車』に乗る機会に恵まる。かなり人生観の替わるほどの衝撃を味わう‥が、往復24㎞にもなると体重の重いボクなんかはバッテリーがエンプティーに‥

 

ボクの知っている仙台駅の東側は味わいのある木造家屋が犇めき合っていたと思ったが‥
海運で栄えた仙台塩釜港明治20年上野~塩竈間の鉄道が開通し、昭和50年代に次々と延長した東北縦貫道、昭和57年の上野~盛岡間の東北新幹線の開通と仙台の街は駅の西側に開発?が進んだような‥
久しぶりに来た仙台の街は海側が再開発され、球団が来たり‥かなり雰囲気が変わっている様子
そんなコトを考えながら‥ ゾロゾロと自転車で走る走る‥

 

仙台市は都市計画が真っ当に実施されているのか、歩道が広い。このスペースを活用して当初の瓦礫撤去は完了している。被災地も瓦礫撤去も街の方向から海の方向に向けてだんだんと進んで居る様子。
イメージ 9何処に運ぶのか、山下公園の様な埋立地は用意されているのか、瓦礫の分別作業は実施されているのか‥
ボクみたいな部外者には判らないし、周りのボランティアの人達も特に興味はなさそうだ‥
ボランティア作業には“ココロのこもった?利潤を伴わない作業”が重要で、それ以上でもそれ以下でもない‥

 

イメージ 3連れられた先には、ちょび髭の現地のコーディネーターが居て朝礼‥
被災された御家庭の方からの要望を聞き取り、ボランティアの人数配置。
軽トラでチャンと働いているか見まわったり‥

 

『この辺りを綺麗に仕上げると“お客サン”が喜ぶ‥』って指導をする。
“お客サン”?言葉の綾(あや)なのか、実は料金を頂いているのか?良く判らない‥
彼の好みは、隅々のエッヂを綺麗に見せると、パッと見の印象が良くなる‥って指導を何回か聞いた‥
ボランティアと言えども、手を抜いていい訳ではない‥と言うコト‥!
ボクにしてみれば、土木の検査時に検査員の小役人にパッと見で“綺麗な様な印象”を与えるコトなど十分承知している。が、“ソコまで求められているのか?”“ボランティアの作業なんだから‥”って思いが拭えない‥

 

このコーディネーター?と教会の関係も今一つ判らなかったけど、もう少しすれば(時間が経てば)地元の建設業者が片付けに来るだろうケド‥仕事で来る建設業者には出来ない“きめの細かい?”作業をしなくてはイケナインじゃないのかな?そんなコトは言われなくても‥って?
そうそう、ボクらは善人の集団(のはず)だから‥

 

イメージ 4この日の作業は被災された住宅の庭の泥出し
若林区七郷地区笹屋敷は床上1m程の浸水なのかな?
津波が滞水して、重い砂質土が先に沈殿し軽い田の土みたいな黒い土がゆっくり沈殿した様だ。
一見土木屋さんから見れば『こんなの重機仕事っ!』って言いたくなる仕事だけど‥
ボクらボランティアには仕事を選択する自由はないし、仕事に効率は求められていない(と言う)
提案して話し合って実行する経緯を踏めばいいのだけど、初日から提案する元気もない‥

 

長くボランティアに在籍しそれぞれの家庭に責任者?としてチョビ髭との連絡役になる。彼か彼女が仕事を割り振る。長く居られるのは大概若い学生さんあたりみたいだが、なかなか良くリーダーシップを発揮しながら周りの大人たちも彼彼女らを盛り上げる様に立ち振る舞って居た様な‥
流石に自分の良心従って集まった人々の集団である。

 

イメージ 5昼休みに自転車に乗って荒浜まで海を見に行くと言うので同行する。
笹屋敷地区から荒浜の海岸までは2km程‥
海岸は海水浴場になっており数日前までたくさんの御遺体が流れ着いていたとか‥?
皆の衆何処からかカメラを出して無心に画像を残す。
中にはせっせとツイッターに投稿し始めるヒトも‥
「なんて書いているの‥?」
今では一億総即席ジャーナリスト‥
『オヤジが覗いて来てウゼー』って!

 

イメージ 6こんな海岸沿いに住宅地があるなんて思わなかったけど、荒浜小学校までありたいそうな住宅地だったらしい‥
2㎞離れた笹屋敷の住人は『流石にココまで津波が来るとは思わなかった‥』と言っており、当然の様に津波避難訓練も行われていたらしい。
ってコトはそもそも津波に対する危機意識がないはずはない‥よね‥
基礎は残っていても‥

 

イメージ 7 イメージ 8
何処からこんなに流れて来たのかと思ったけど‥        かなり見晴らしが良くなってしまっている。

 

GoogleMapのStreetViewモードでは被災前の画像が多く残されている。
(Mapの航空写真は被災後の写真に代わっている)
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正宗が整備を始めた貞山堀は川船のまま塩竃港まで物資を運ぶ当時の主要物流幹線。運河としては日本最長を誇る。2本ほど隣の通りの田園風景‥

 

仕事は午前は10時位から12時。1時間昼休みを経て午後は13時から14時50分位までやって15時に集合して各家屋担当のリーダーがチョビ髭に報告をする。明日とその後の見込みを立てる。
15時の集合にチョッとでも遅れると、かなりネチネチ怒られる。一生懸命仕事をしても秩序の方が大事って事だね‥。
その後、今度は青葉区までだらだらと登り勾配で自転車を漕ぐ‥チョッと大変‥

 

14時30分から教会でミーティング‥
チョビ髭サンへの報告と同様なリーダーの報告と、教会独自の各自の考えの報告‥
自転車で行くのがいいコトなのか危ないのか?なんて議題に上がる‥
まぁ、自転車での人身事故には自賠責保険や任意保険もないので30人もの自転車が仙台の街の中を走り回るのだから‥かなりリスキーだってコトは教会運営側も承知の上なんだろう‥
ボランティア保険も参加者には入って貰っているけど‥対人保険ではないから意味ないし‥
最後に作業の終了のお祈りをする。アーメンっ!

 

ミーティング終了後、基本若者を対象としたチーィングだっけ?ブレーンストーミングをする。5人ほどで作業から感じたコト思ったコト、なんでも話し合って情報を共有し、他のヒトを批判しない‥
ボクには苦手な集まり‥

 

夕食は18時30分からで、『いただきます』のお祈りをして‥オニギリと汁モノ&+αのおかずを頂く。
食べたり食べないかは各自自由。外で美味しいモノを食べてもいいし、ココで皆でお話ししながら食べてもいいし‥自分で食器を洗って終了‥。各自それぞれの宿泊場所に移動する。

 

主要教会の階上に宿泊する人も居れば、隣接する教会、ボクらみたいにかなり移動したトコに宿泊する人も居る。全て主の思し召しによって与えられた施設になる。
いろいろ聞き取りしたなかには、例えばYHに宿泊した女子は教会が満室?って言われて自分でYHを予約ソコも相部屋だそうで、同室の女子もまた被災地のボランティアを志しやって来たヒトとのコト‥
だけど、ソノ日はバスで石巻まで2時間半掛けて行って‥仕事がないと肩を落として帰って来た‥ってコト‥
「ウチの教会紹介したの?」の問いには、これまた満席で『募集してない』と断られてしまったそうだ‥
ってコトは、少なからずボクらは選ばれたヒトってコト?
働きたくても働けないヒトの無念は、なんとも遠くから来て‥無念なモノ‥
だけど、現地の社協社会福祉協議会)に行けばその場で要請があれば現地に派遣される‥

 

また、笹屋敷の現場でも社協から派遣されたボランティアとかち合うコトがあると言う。教会から派遣されたリーダー格の若者の方が、社協ボランティアを“こき使った”って報告会で自慢していた‥
他の人達はドウ受け取ったかは定かではないが、教会側から毎日派遣されるボランティアに“モノ足りなさ”を覚え他の労働力を要請したのでは?って考えてしまった。
社協に要請するのが正当な復興の第一歩なんだろう‥か?

 

行政はボランティアの労働力をアテにしているのか‥?社協だって建前上は独立した民間組織のはず‥
そもそもボクは募金と言う制度が好きではない。福祉として何が足りないのか納税にてなぜ福祉まで行き渡らないのか‥?何処で無くなってしまっているのか?当たり前に住み分けを行っているのか?
自分が普通な納税者としてあまり目を向けていないだけなんだろうケド‥
チャンと使われているのか‥?

 

さて、夜はそれぞれ楽しく過ごしている様子‥。ボクはチョッと風邪気味で残念ながら早寝‥
かなりイビキが煩いらしく、朝にはみんな不機嫌な様子‥
【5000文字OVERでひとまず終了】
イメージ 12仙台市での活動経路と範囲
【参考記事】
15年の目の穴埋め