牛歩村日記? Like a snail's pace?

日々平穏に暮らしていれば、自から幸せになれると言いますが‥?いろいろ雑音が‥

5周忌

 さて、毎年思い出すのが1月12日はボクの一回目の命日。

 この日記をWebに公開を始めて2ヶ月くらいした2006年の1月12日。午前だったか午後だったか‥大町市砂防ダムの現場で写真を二人で撮っていてダム上から12m転落して、近所の大町市民病院に断られ、陸路松本の相澤病院に運び込まれたと言う‥。

 意識は救急車内で戻り、同乗した会社のヒトの携帯を通じて実家に電話をして両親ともハナシをしたらしい。その後昏睡状態に戻って‥ってコトらしい。

 助役サマはまだまだ独身生活を満喫?したOL?生活を続けていたそうで、習い事を終え22時頃帰宅したら留守番電話にボクの実家からメッセージが残っていて、驚いてボクの実家に電話を掛け直したそうだ。
イメージ 1 その頃既に老いた両親は新宿経由で“あずさ”で松本入りして病院に居たらしい。
助役サマも、会社の上司に『祖母(当時存命)が死にそうだ』と嘘を付き、長野市からタクシーを拾って松本まで急いだ‥らしい。

 運転手は凄いお爺さんで、高速に乗ってくれればいいモノを『会社の規定』とか嘘こいてR19号の下道を延々とノロノロ走った‥。途中、生坂村辺りで、ドンッ!と大きな物体と衝突っ!
 急いで車外に出ると大きな鹿が道路に横たわっていたそうな‥。あたふたしていると、ムクッ!って起き上がって藪に消えて行ったそうな‥
 その後、松本市内に来ても病院の位置が判らず、街行くヒトに尋ねたら『説明するのが難しいから一緒に乗って行くっ!』って同乗して案内してくれたそうな‥深夜なのに‥

 ボクの両親に呼び出された助役サマだけど、ボクとの関係は当時結納もしていないしなんだろ‥“なんとなくこのままなら結婚するかもしれないカノジョ”ってトコなので病室にも入れてもらえない‥
どちらにしても両親も集中治療室には入れなかったらしけど‥
 その後、病院と提携?しているホテルに移動して心細い一夜を過ごしたと言う。

 ボクは翌日くらいからなんとなく記憶があるのだけど、肺にまだ血がたっぷり残っていて呼吸が苦しかった様な‥
 助役サマは毎日終業後に、急行?信濃で松本までやって来て最終列車で長野市に帰って行った。
どんなに心細かっただろう‥。仕事が続くのか判らないボクに『そろそろお別れしようとズルズルしていたのに、大怪我されちゃってコレで別れたら人道的に反するなんて思った』(助役サマ回顧録
なんでこんな想いをして、真っ暗な車窓を眺めて毎晩電車で往復するのか‥松本駅から病院までもかなりの距離がある‥そんな事を1週間ほど続ける‥
 そんなさなか、閉所恐怖症と言うか居た堪れぬ寂寥感からココロを壊してしまう。(助役サマ本人弁)

そんな事を、今朝起きがけに聞かされた。(ボクが今日は何の日だか判る?って聞いたからだけど‥)

何度聞かされても、脱帽するハナシだ。
助役サマに言わせれば“あの事故”がなければ‥‥