牛歩村日記? Like a snail's pace?

日々平穏に暮らしていれば、自から幸せになれると言いますが‥?いろいろ雑音が‥

雪景色の『無常院』 長野市安茂里小市

『無常院』は、長野市の西方のR19号と犀川に挟まれた辺りにある。

イメージ 1以前から西街道の旧道を走る度に、参道がチラチラって見えて来になっていたのだけど‥
1月後半の良く雪の降った日に近くに行ったので、雪景色もオツだろうと車を停めてみた‥
付近には元長野市長のお堀付邸宅もあり、同性の邸宅も多数ある。
古くからの旧家が多く、旧道沿いは目を見張る様なお屋敷がまだまだ残っている‥かな?

南向きの丘陵地で家が少ない頃は眼下?に犀川の流れが見下ろせたのかな?昔は艀が新潟の萬代橋からはるばる信州新町を経て明科まで通ったって言うけど‥。あと、鮭の遡上も‥
だけど、背後の山には善光寺地震で動いた活断層が迫っており‥なんとも緊張感のある地域かな?

イメージ 2当初は永承3年(1048)中御所村(現中御所あたり)にあったが、永禄2年(1559)戦乱、水害により水内郡小市村へ移り、領主小田切氏が発心し浄土宗に改めたとのコト‥。

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住職らしきヒトが竹箒で参道の敷石の上を履いていた。ソレがなかなか絵になって遠くから暫く愛でる

イメージ 5境内に入って向かって左にある中見堂大悲殿は信濃33番観音霊場第12番札所とのコト‥。札所って33が好きなんだねェ

イメージ 6参拝を終え山門?から参道を見下ろす。
ココから現小市橋辺りまで、古地図にもある古くからの堤が残されており、史跡として保存するだのしないだの‥都市計画道路が建設されるだの‥いつできるのやら‥
みんな口をそろえて『長野五輪までに‥』って以前言われた‥って言うけど、既に20年過ぎてるよっ!

イメージ 7小市村は現小市橋辺りに『小市の渡し』があったとして、下流の『市村の渡し』(現若里)と共に物流の拠点だったのかな?※丹波島の渡しが発展するのは、江戸時代になって松平忠輝川中島を領有し、家臣の花井父子が裾花川の瀬直しを行い、北国街道を整備してからですな‥。

『両郡橋』は「水内郡」と「更級郡」に跨る橋で、先代の橋梁が地図に記されている。この地形図の昭和初期には東京電力の小田切ダムの計画さえなかったが、戦後昭和28年(1953)に工事に着手し、翌年竣工する。地形図には上中下堰なのかな?取水口が犀口に河畔に並んでいるし‥