牛歩村日記? Like a snail's pace?

日々平穏に暮らしていれば、自から幸せになれると言いますが‥?いろいろ雑音が‥

太秦映画村

イメージ 11 Webで地図検索とか無かった頃、いや地図と言えば社会科の地図帳だった時代に「ウズマサエイガムラ」を探したけど、“ウズマサ”なんて地名は見付からなかった‥
 まさか『太秦』を“ウズマサ”なんて読むとは思わないし、知らなきゃ読めない‥で、読める様になったのはついこのアイダのコト‥( -_-)=з

今回の旅で助役サマの行きたい京都はまずは『太秦っ!』ってコトで、「一日ゆっくり見学したいっ!」って意気込んでいる様なので、駐車場が開く時間に合わせてやって来た。

太秦って言えば‥
①渡来系の豪族秦氏が税を納める際に絹を「うず高く積んだ」ことから、朝廷より「禹豆満佐=うずまさ」の姓を与えられたと言う説。
②秦氏の拠点であったことから、拠点という語義を「太い」という字で表し、「まさ」は秦氏の「秦」をもって表記し、「うずまさ」と呼ぶようになり、「太秦」って当て字の説。 
③古代ヘブライ語の「ウズ」(光)「マサ」(賜物)が語源であるとする説。 
④秦公酒時代に松尾族から分離した秦族が、大蔵大臣の役職を受け「兎豆麻佐」の称を得、これを「太勝」に充て、後に「太秦」とした説。
秦氏は渡来人で、治水,墾田,機織,土木,鋳造などの先端技術に長けていて、嵐山山麓渡月橋の少し上流の昭和初期に府が造った場所と同じ辺りに、『葛野大堰(かどのおおい)』という堰を造り保津川を治め、堰を築き水路を引き、付近一帯を穀倉地帯に変えた。
 秦氏は“大陸の『万里の長城』の技術をもって築造した”って資料にあったけど、かの“万里の長城”と保津川の堰では比べ物にならない‥ちょっと大袈裟‥

そもそもこの島国も住人も大陸からの渡来人なのに、早く居たヒトは後からきたヒトに過剰に感応する‥

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そんなこんなで映画村に‥ ナニか割引券があるようだったけど、段取りが良くないのでFULL料金で入場

基本的に周りのお客は家族連れ‥
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薄っぺらな張りぼての建物が並ぶ‥江戸の蕎麦屋台‥こんな屋台でフリーマーケットで出店したらいいかも‥
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ホールで『ガマの油売り』ショー コレが本命!日本一の斬られ役の福本清三先生の時代劇ショー!
助役サマはこの間の『探偵ナイトスクープ』で初めて福本先生を知ったそうな‥
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その他、『忍者ショー』『映画のウソホントショー』とかひと通りみてすっかり飽きてしまった‥
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まぁ、大盛況の映画村だけど連休中で水戸黄門の撮影もお休みだし‥

あんなに意気込んで居たのに、まさか3時間で飽きてしまうとは‥

【参考資料】 太秦映画村HP