牛歩村日記? Like a snail's pace?

日々平穏に暮らしていれば、自から幸せになれると言いますが‥?いろいろ雑音が‥

二条城で鴬張りを感じる‥

太秦に飽きて退場したけど、駐車場に収めた車はそのままに電車で市内観光に出掛ける事にし、近くの京福電気鉄道帷子ノ辻(かたびらのつじ)』駅まで歩く。

イメージ 11帷子ノ辻』とは52代嵯峨天皇の皇后橘嘉智子は、すばらしい美貌の持ち主で周囲のオトコどもが“うつつ”を抜かしてしょうがない。深く仏教に帰依していた皇后は、こうした状況を憂い、『この世は無常であり、すべてのものは移り変わって、永遠なるものは一つも無い』という事を自ら示して、『死に臨んで、自分の亡骸は埋葬せず、どこかの辻に打ち棄てよ』と遺言し自害。
 遺言通り遺体は辻に遺棄され、日に日に腐り犬やカラスの餌食となって無残な姿で朽ち果てた。 以後、人々は世の無常を心に刻み、僧たちも妄念を捨てて修業に打ち込んだ。
皇后の経帷子(死装束)に因んだ遺体が置かれた場所。
~と言うなんとも恐ろしい場所‥

北野線北野白梅町まで行って、北野天満宮金閣寺か、龍安寺仁和寺って歩き太秦に戻ろうって電車を待っていたら‥判っていたのに、嵐山本線に乗ってしまい終点の大宮駅に着‥。駅の外でキョロキョロしてやっと気が付く。
あれっ?金閣寺がぁ~って地図を眺めたら二条城が近いので変更っ! 堀川通りを北上する‥
この堀川通りの堀川とは、後述する琵琶湖疎水の下流にあたる‥コレはまだ後で‥

イメージ 1二条城といえば中学、高校と修学旅行で京都に行った時に訪れている。アレから30年弱は経って、今は世界遺産なんて“ハク”がついて‥大盛況っ!
外人さん達が沢山いてここぞ国際観光都市京都っ!って感じ‥
連休には居ないけど、平日は修学旅行生がうじゃうじゃ居るんだろうなぁ
中学生の頃には「なんで城なのに立派な天守閣がないのかな?」って
ここって、戦国時代の城じゃなくて江戸時代の太平な時代の城‥
って勝手にそう想っていた‥

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二条城で随一残った江戸初期の遺構の二の丸御殿で、正面が車寄せ。
二の丸御殿内は「NoPhotoInsite」なんで残念ながらカメラはポケットに‥
大政奉還とか100年チョッと前のハナシに目と耳を見張る‥鴬張りがキュキュッ!っと音を立てている

で、順路に従い外に出て庭園を眺める‥まずは二の丸御殿の縁の下を覗いて鶯を探す‥
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あったあった‥縁の下に忍びが入らない様に金網が貼ってあるけど、鶯の金具ははっきり確認できる

イメージ 6 二条城の二の丸御殿をはじめ、知恩院、東山七条の養源院が有名らしい。
二の丸御殿はさておいて、知恩院や養源院は曲者が多かったのかな?
養源院の鴬張りは左甚五郎作といわれ、その音で石川五右衛門が捕縛されたという‥
でも、左甚五郎って彫刻家?だったような‥






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何処からかイラストを拝借‥

二の丸から内堀を渡って本丸に入る。
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創建当時は本丸御殿は、二の丸御殿ほどの御殿があり、五層の天守閣も建っていた。が、寛延3年(1750)落雷で焼失、天明8年(1788)市中の大火の延焼で殿舎も焼失。
写真の本丸御殿は、御苑今出川御門内の旧桂宮邸の御殿を、明治26、27年で本丸内に移築したもの。
もう、梅が結構大きくなっている‥。やっぱりこっちは早いなぁ~
 
【参考資料】二条城公式HP 知恩院の鶯貼