牛歩村日記? Like a snail's pace?

日々平穏に暮らしていれば、自から幸せになれると言いますが‥?いろいろ雑音が‥

『姥湯』で祈る‥

滑川温泉と、その上流の終点に位置する『姥湯』に初めて来た時の頃のハナシ‥
学生時代の友人らと、その周辺の急峻な崩壊地を見た時、「これは雪崩れるな‥」って溜息が漏れた‥

それは就職して3年目だったかな?春分の日の連休に、学生時代の友人2人に山スキーに誘われていた。
福島と山形の県境の豪雪地帯吾妻山系に山スキーに行こうってハナシだ。
いつもなら二言返事なのだけど、この連休は会社の仕事とは別に夜や休日にバイトしていた友人のデザイン事務所の引越しを頼まれていた。

「気を付けてね‥」って、それがNとの最後の会話になった。
3連休の引越し作業が終わり、深夜自宅に戻って留守電のボタンを押したら、学生時代の山岳系サークルの幹事からのメッセージ‥ 普段電話をしてくるヤツではない‥ ピンッと来た。『何かあったな‥』

なにやら友人Nが雪崩で遭難したと言う。
同行のMが単独で麓まで下山し、警察に救助要請をしたらしい。
それは20時頃の話で、既に現地に岩手から1人車で向かっていると言う。
既に連絡の回った連中が、朝一番の新幹線でNの両親と現地に向かうとの段取りが出来ている模様‥

そして深夜に連絡が取れた僕は、翌日は会社で連絡係りとなった。
そんな、Nの最期の地がこの姥湯だ。

彼らの行程は良く覚えてないが、“モンスター”と呼ばれる樹氷が多く、比較的尾根が明瞭でない吾妻山塊で吹雪で方角を失って彷徨した挙句、午後になって視界が広がった場所で現在地に気が付いたと言う。全く下山の方向とは離れていたらしく、下山の場所を姥湯方面に変更した。視界の無い積雪した樹林帯を“ラッセル”を続け、眼下に姥湯の一軒宿“桝形屋”の屋根が見えた。地形で『そうだろう』と推測していても、確信の持てる人工物を見つけた時の喜びは彷徨った者にしか理解出来ない‥。

急斜面をNを先頭に“つぼ足”で下山していた時、N周辺の雪が動き始めた‥
足元を掬われて“尻餅”を付く様なかたちで動く雪に座ったままで流れ落ちて視界から消えたと言う。

少し上から見ていたMは、それが雪崩れである事は理解出来た。急いで後を追い埋没していると思われる地点に行き、スキー板の後方端部を雪に刺して埋まっているNを探した。
手応えを頼りにNを掘り起こした時には、雪崩発生から1時間程経過していた‥。

既に冷たくなったNにMは手を尽くした。が、状態は変わらなかった‥。
麓に救助を要請しに行く為、もしも目が覚めた時にとMを寝袋に入れて下山を開始。
うす暗くなる樹林帯をまずは滑川温泉に‥  ところが冬季は営業していなく、除雪もされていない‥。

再び歩き出し、ヘッドランプの明かりを頼りにJR奥羽本線『峠駅』に隣接する売店まで来て救助を要請するに至った。距離にして8km程の距離、さぞかし必死の思いでラッセルした事だろう。
地元の捜索隊が翌朝から動く事となり、Mは同じサークルOGの(Mの)婚約者に報告しその後OBらにも連絡が廻った。

翌朝、米沢署に立ち寄り事情を聞いた両親とOBらは、岩手から車で来たOBと共に峠駅へとR13を車を向けた。すると前方の山からヘリコプターが飛んで来るのが視界に入った。
「あっ!あれじゃない‥」その声にNの両親は目を向けて泣き崩れたと言う‥。
ヘリの下には“モッコ”と呼ばれる荷物を運ぶ時に使われる網が下がっており、その中に明らかに寝袋に包まれた状態のNの姿が見て取れたと言う‥。

通夜でみたNの顔は、普通に寝ている様だった。僕と同じく建設系に進み現場を忙しくこなしていたMは額にヘルメットの日焼けの痕が薄っすら残っていた。

その年の初夏にOBOGらで此処“姥湯”に来たのが初めてだった。
その後、事あるごとに集合したモノだ。テント泊ばかりだった僕らは滑川温泉の近くの平地に許可を貰ってテントを張った。

そして年月が流れ、久々にこの地を訪れた。
よき山のライバルだったNに僕の伴侶である助役を紹介する為に‥

   イメージ 1   イメージ 2
JR奥羽本線峠駅から、滑川温泉を経ての道も姥湯の駐車場で行き止まりになる。
深い渓谷に作られた高い砂防ダムの少し上流に掛かる吊橋のたもと(長いな)から、姥湯の全景が見られるはずだけど、昨夜の雨雲がまだ谷間に居座っており、斜面に張り付く様に建てられた“桝形屋”が見えるはず‥

イメージ 3桝形屋の先、渓谷の奥の崩壊地が“その場所”なのだけど、同時に姥湯の源泉であり、露天風呂が2箇所ほどある。
比較的料金設定の高めの桝形屋は、外来の入浴客の時間を設定しており、まだその時間にははるか及ばない‥。
遠くで早くから入浴を楽しんでいるヒトの姿が見て取れる。
事情を話して近くまで行かせて貰おうかと、桝形屋の受付を見ると若者が番をしている‥。

此処までやって来て、更に近くに寄った所で特にかわりは無い‥
僕の自己満足があるだけ、
わざわざ宿に頼むまでもない‥。

Nがいまだにそこに居る訳ではない‥。

僕らがソコに意味を持たせているだけだ‥。


以前花束を源泉近くに置いた時、宿から『止めてくれ』と言われた経緯もあり、此処からNに語りかけた‥。

『久しぶりに来たよ。
僕の伴侶を紹介するよ、可愛いだろ‥
相変わらず仕事は建設業界だよ‥。あの頃は景気よかったね‥。
今は長野の田舎で劣悪な給与体系で働いているよ‥。
他の仲間もそれなりみたいだよ‥。』


イメージ 4そして、姥湯を後にした‥。

姑息な手で入浴するでなく、手を合わせてサッサと踵を返した僕に助役はかなり不審げな眼差しを向けている。

「なんか崩れそうなトコだね、良くあんな崖の下で裸になってられるね‥。」

「そうだね‥。」
振り返ると、ガスが晴れて来ていた‥。


“私の遭難地の前で 祈らないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません”

Nの墓は両親の意向でまだ用意されていない‥。
何処にNが居るのか、何処から僕らを見守ってくれているのかは判らない‥。
でも、時々Nを思い出し『もう少し頑張ろう‥』って思ったりする。


イメージ 5前回来た時は滑川温泉からは未舗装路だったけど、今回姥湯駐車場直前まで舗装路になっていた。車道では珍しい“スイッチバック式”のやせ尾根の林道も舗装され、以前よりは安心して通行出来るようになっている‥。




今では比較的一般的になった携帯用のGPSは当時なかった。
明瞭な尾根が形成されていない吾妻山系は特に道を失いやすい。まして積雪期の吹雪だ‥
やっと見つけた手掛かりに、「明日から仕事だ」と下山を急いだ。

現在なら雪山に携帯するのが当たり前になった
“ビーコン”(発信機兼探知機)
“ゾンデ”(雪に刺して埋没者を探す棒)
“スノースコップ”(雪用のスコップ)
上記の前2者は、当時持っているヒトは皆無だったか、世間にはなかった。

“ビーコン”があれば、Nの位置は直ぐ絞れただろう‥
“ゾンデ”があれば、何処を掘ればいいか判っただろう‥
そんな時代だった。残念だ‥。
無論、使用方法を理解しなくてはいけないし、電池が切れていたら意味はない‥。

今では冬の遭難の一端を担う様になった“山スキー”等の積雪期の山でのアクティビティ‥。
NPOは更迭されたけど、“悲惨な雪崩事故が起こらない事が僕の願い”です‥。http://counter1.fc2.com/counter_img.php?id=1205573