
こんな景色の良さそうなトコに住めたらいいなぁ~って思っていたり‥して‥
小春日和の昼時に時間があったので丘の上に登ってみた‥




小松原地区では明治からのリンゴの産地で辺りは香りが漂う‥
R19の小松原トンネル手前から見える白い手摺みたいな曲線は茶畑なんかにあるモノレールかと思ったけど、実際には白い手摺の様だ‥
その上には四阿なのか展望台なのか‥ 行ってみよう‥かな?

ココからでもこんなに景色がいいのだから上の展望台に行けば‥

って助役サマなら言いそうだけど、ホントこんな日はお弁当を持ってくれば良かった‥
地盤さえしっかりしていればこんなトコに家を建ててもいいね‥(^_-)


『ケアファーム』とある‥ナンだろう‥金網で囲まれているし‥ 金網沿いに登ってみよう‥


ん?水位計かな?この辺りの地質は白土と言う白い砂状の“裾花凝灰岩”の崖が続いていて‥
良く判らないけど、地滑り地帯らしい‥ 1847年の善光寺地震時に大きな断層が出来今も残っている‥
海底火山の噴火による堆積で出来た“裾花凝灰岩”はフォッサマグナが海底だった由縁‥
探せば化石も簡単に見つかると言う‥【参考記事】 旧中条村城下の牡蠣化石
そんなコトより、白い手摺と展望台には近寄れなかった‥


ソウは言っても辺りはりんご畑に覆われていて、果実を避けながら歩くことになる‥
この時期に収穫していなければ“フジ”なのかな?お昼休みも時間もないので一旦下山‥)
さて、夕方に今度は曹洞宗天照寺から登る‥

チョッと車道では考えられない急勾配‥登りきれば天照寺なんだけど、スルーして羅漢堂へ‥
善光寺平を見渡す西日に多少の建物が光って綺麗と思うのか‥これしか建物がないとみるのか‥


チョッと車道では考えられない急勾配‥登りきれば天照寺なんだけど、スルーして羅漢堂へ‥
善光寺平を見渡す西日に多少の建物が光って綺麗と思うのか‥これしか建物がないとみるのか‥


“羅漢”とは修行によって阿羅漢最高の位を得た者のこと‥9世紀?に建立され善光寺地震で崩壊し現在の位置に移築された。堂の周囲には16羅漢がが安置され前には第一賓頭盧(びんずる)尊者が安置されている。やはり撫でまわされて表情もツルツル‥
【参考記事】善光寺の賓頭盧尊者像

羅漢堂前からの景色‥善光寺周辺のヒトが古来から威張っているから“善光寺平”って呼ばせているけど、犀川の北側は呼んでもいいけど南側は犀川の扇状地地形でやはり“川中島平”と呼んだ方がいいのかな?住所的には篠ノ井地籍だけど‥
さて、天照寺の墓地の間を登ると‥

やはり“ケアファーム”の看板と柵&南京錠‥ 何かを夢見て土地だけは確保したのだろう‥


やはり“ケアファーム”の看板と柵&南京錠‥ 何かを夢見て土地だけは確保したのだろう‥

せめてお墓詣りしに来たヒトの休憩場所にしてくれればいいのに‥

犀口、小松原地区の拡大図(扇形はパノラマ写真位置)

地形図では目立たないようにしてあるが、航空写真ではこの(展望台の)山の裏の天狗沢地籍に長野市は最終処分場を建設している。このため小学校の移設新築や地区の体育館など市税が優先的に分配されている。コレは原発城下町や核廃棄物受入地域への優遇措置に同じ‥
小松原地区はこの山を水源とする独自の『小松原水道』を有していたが無償?にて県営水道へ移管するコトになった‥
今でも山の麓では沢山の湧水が見られる‥が、白土のせいで白いのか最終処分灰のせいで白いのか‥