牛歩村日記? Like a snail's pace?

日々平穏に暮らしていれば、自から幸せになれると言いますが‥?いろいろ雑音が‥

病室からの展望‥

イメージ 1土曜朝に長野を出て、医師の説明がある時間に間に合う様にと上信道関越道経由で東松山に入る‥
前日に現地に尋ねたトコによると燃料事情はかなり改善されているらしい‥
実母の入院している病院はボクの母校(小学校)の近く‥
当時は児童が校舎に収まりきれず、プレハブ校舎も建設されなんとかこなしていた‥
病院の駐車場に車を入れて建物に入ろうとすると妹の車が実父を乗せてやって来た‥
入院やら世話をしてくれた妹に礼を言い、父をねぎらい一緒に病室に向かう‥

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子供の頃はなんか薄暗くて気味の悪かった病院も建て替えておりかなりイメージが明るくなっていた‥
けど、節電の為に内部は薄暗い‥

僕よりも若い女医さんの前に座っている母は正月に逢った時よりさらに小さくなった様だった‥
経過と症状の説明を受け今後の治療方針を聞く。礼を言い簡単な質問をする‥
取りあえず退院出来るので、身支度を妹に任せボクは病室のベランダから外を眺める‥

かつての田園地帯は僕らの幼少の頃、市民の物欲を煽り立て個人所得上昇を傘に『高度経済成長』と洗脳して環境破壊とかつてのコニュニティの破壊が繰り返され、街となっていた‥
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昭和40年代生まれのボクはベビーブーム?で増えに増えた児童を受け入れるために小学校中学校共に田園地帯を埋め立てて造成した新?市街地を一望‥
ボクの日記にも登場する名所もチラホラみられる‥
アノ頃は文化会館の基礎杭の工事で超騒音だったな‥今ではあんな工事出来ないね‥*1

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当時マンモス小学校だったけど今はドウなんだろう?     田園地帯となる有史?以前から人々のコミュニティが存在した証もある‥ 吉見百穴岩窟ホテル
この山の上にはかつて上杉謙信が攻め入ったと言われる“松山城”があり、田園地帯は天然の要塞?ハザードに囲まれて‥って郷土の歴史として教わったけど‥

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かつて崖下の湧水でダムやら作った区画は住宅に‥ 水路の切梁の上を飛び渡って道草喰った

なんて懐かしんでいると‥実母の様子も悪くない様なので帰り道にかつての通学路をたどる‥
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わが街は河川域の湿地と丘陵域の接するトコなので坂でぐるりと囲まれている‥
その崖線(がいせん)には湧水があったり溜池があったり‥ そして崖線と溜池の堤にはソメイヨシノ

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小さい池は残っていたけど、大きい池は公園になっていた‥ 氷が張った時に度胸試しに何処まで端に寄れるか試したトコがここ‥ この隣のアパートの下も湧水がコンコンと湧き続けている‥?
暗渠で排水されているのか判らないけど、地上に住む人はその土地の過去を全く知らない‥

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この一角は崖が残っているけど、通学路沿いって事だからか“立入禁止”に‥
以前はレンズ工場があって拾って来たレンズで蟻んこを焼きころしたモノ‥

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サッカー少年団の研修なんかやった建物は健在‥        裏に滑り台も健在

イメージ 16市街地にある比較的有名な神社の参道の鳥居は彩色されていた‥

ソウソウ、実母は来週もう一回通院して‥
手術をするとかしないとか‥
取りあえず、大丈夫みたい(・へ・)

*1:+_+