まだ、正月のハナシを引き擦っている‥。既に1年の20分の1は経過しているというのに‥
1月3日に上京して上野あたりで徳川家ゆかりの社寺にさんざん初詣して‥そんな帰り道‥
駅から自宅の間にある、地元でもまぁ有名な神社にせっかくだからって初詣に寄った。
地元にずっと居た高校生の頃は境内が通学路だったり、境内を借地している自動車教習所に通って免許取ったり‥
初午祭りでは、オートバイショーとか小人プロレス観たり‥って、なじみ深い神社‥
駅から自宅の間にある、地元でもまぁ有名な神社にせっかくだからって初詣に寄った。
地元にずっと居た高校生の頃は境内が通学路だったり、境内を借地している自動車教習所に通って免許取ったり‥
初午祭りでは、オートバイショーとか小人プロレス観たり‥って、なじみ深い神社‥
そんな箭弓神社って言うんだけど、有名なことに気が付いたのは家族で『江戸東京博物館』なんて見に行ったら関東でも有名な神社ってコトで掲載されていたり‥ふ~ん?って感じ‥
夕方だけど陽が落ちるのが早いので真っ暗‥。昼間はかなり参拝の列が賽銭箱の前と駐車場の前にできるけど、既に閑散としている
的屋のヒト達も片付けている。焼きそばとか唐揚げとか売れ残ったのなら、安くするか参拝客に配ってしまえばいいのに‥ないか‥
なんだか、昔より明るくなったかな?塗り直したのかな?
しばらく前から近隣の女子高の美術部が干支の絵馬の寄進をしている‥。
何年か前は書道部が全国大会でよい成績だったみたいで、なにやら飾ってあったかな?
書道のイメージが丁度変わって来た頃‥
何年か前は書道部が全国大会でよい成績だったみたいで、なにやら飾ってあったかな?
書道のイメージが丁度変わって来た頃‥
そこで、本題‥
この箭弓神社は7年ほど前に建立1300年って大騒ぎしていたけど‥。ソー言えば、アノ頃って日本中になにがしかの『〇〇1300年』ってあったような‥。
ってことは‥
712年(和銅5年)の創建と伝えら、最初は小さな祠だったが、源頼信が1030年(長元3年)に下総国(千葉茨木の一部)を討伐に出かけこの周辺に一泊した際に、夜に白羽の矢のような形をした雲が敵陣の方へ飛んでいくのを見て、これを神のお告げと確信し、直ちに敵陣に攻め込んだ頼信は快勝し、立派な社殿を建造し「箭弓稲荷大明神」とたたえたとのコト‥。以来、松山城主、川越城主などの庇護を受けた。《出典:Wikipedia》
丁度、平常遷都が行われた頃なんだな‥。法隆寺とか‥いろいろあるよね‥1300年‥
20年で遷宮する建築物もあって、1300年間役目を果たして‥やっと修理をする建物もあるんだね‥