牛歩村日記? Like a snail's pace?

日々平穏に暮らしていれば、自から幸せになれると言いますが‥?いろいろ雑音が‥

『島田橋』 荒川水系 越辺川

元旦の翌朝、久々に実家の雑煮を食べまったりするのも束の間、両親は“箱根駅伝”に釘付けになっている様なので、助役を誘って近所の散策に出掛ける‥。

 最近の実家の近所散策のテーマは、今のところ2つ‥ ① 潅水橋 ② レンガ製樋門 そんなトコ‥
そんななか故郷の東松山市と南に隣接する坂戸市の市境を流れる越辺川(おっぺがわ)の島田橋を訪れてみた‥。
越辺川(おっぺがわ)とはなんとも日本語らしからぬアクセントだが、源流の黒山三滝のある「越生(おごせ)の辺りを流れる川」との説や、アイヌ語説等があるらしい。“‥ぺ”なんて発音はいかにもアイヌ地名っぽい‥。埼玉県の地名には普通に読む地名でないトコが結構ある‥。

僕の子供の頃には“入熊線(いりくま)”(入間,熊谷)って呼んでいた県道は、いつだったか国道407(ヨンマルナナ)と呼ばれた。その407の越辺川の高坂橋のひとつ下流にある。
木製の冠水橋として結構人気があるみたいで、ドラマや映画のロケ地にもなっているらしい‥。

田圃の中の畦道を走り土手を越えると島田橋が見えた。1月2日の朝は冬型の気圧配置の関東平野らしく秩父連山の向う南西には富士山‥。北西の方には助役の御実家の裏山の浅間山‥。北には榛名赤城男体山‥。北側から侵入した僕らは、橋の手前に幅員制限もあるし、車両総重量が「1.5t未満」との表示があり、僕は大丈夫‥って踏んでいたが助役サマが嫌がるので車で渡るのを諦め手前の繁みに車を停める。

逆光が眩しいので坂戸市側に渡り、まずはパノラマ写真‥
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秩父連山から浅間山上越国境の山に筑波山まで見渡せる‥ 日差しはあるが、風が冷たい‥

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この角度が一番いい感じかな‥        助役サマも何度も橋を渡り足元の感触を確かめている‥

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なんと言う組み方なのだろう?京都の木津川の通称“流れ橋”と同じ構造‥かな?
橋梁本体と斜めに組まれたゴミ避けみたいなトコロは別構造になっている。

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橋の下部に廻り込んでみる‥。
木造橋と聞いていたけど、主構造は“H鋼”と呼ばれるいわゆる鉄骨を採用している‥

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ゴミ避けは結構グラグラ‥。大丈夫かな‥? 腐食もソコソコ進んでいる‥。
耐荷重が1.5tだったけど、ソレに絶えられるのかドウか‥。渡らなくてヨカッタかも‥

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橋の下流に大きな倒木が引っ掛かっていた‥。橋の下を通過したのでなければ‥越流したのだろうか‥
ソウいえば主構造の鉄骨に引っ掛かっている“わらくず”は鳥の巣だと思ったけど‥。 違うみたい‥
越辺川に水没する島田橋も一度視察したいね‥

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橋と富士山を一緒に撮りたかったけど、小さすぎるね‥ もちろん不法投棄なんかもあったりして‥

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坂戸市観光協会の立札で、ロケの行われた映画やドラマが列記されている。ちなみにどれも観ていない‥
河川敷の占用許可の表示看板。良く知らないが、河川は官地で橋は国交省から占有許可を得ているらしい。

イメージ 15国土地理院の地図閲覧サービス1/25,000を転載‥
下記はGoogleMapグーグルとyahoo!地図の航空写真
Googleの方が写真の色調を合わせている。
近くではバイパス工事も進んでおり、かつての脇往還→入熊線→407号と変遷の痕が上空から観察出来る。
巷では“宇宙考古学”って上空からの写真データの解析で、古代ローマの都市の発掘とか実績があるらしい。宇宙とはチョッと大袈裟な‥
 島田橋が完成したのは明治時代らしくソレまでは“渡し”があったらしい。昨日の吾妻川でもソウなのだけど、現在の河川の流量はなんでこんなに少ないのだろう?発電等で取水されているだけではないだろう‥
なんでだろ?

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その昔、この島田橋は“日光脇往還”と呼ばれる東京都の拝島から日光例幣使街道を経て日光に至る街道になっていた。少し南の鶴ヶ島市に現在でも立派な杉並木が残っている。