牛歩村日記? Like a snail's pace?

日々平穏に暮らしていれば、自から幸せになれると言いますが‥?いろいろ雑音が‥

遭難救助見聞録とチョッと考察

捜索隊に参加したら「レポートを書け」との指令があり、書く。
折角なので、修正してこちらにも掲載。事は先週の日曜日1月7日の話

正月は日本各地で御来光が拝める安定した天気だったが、今回の連休は「低気圧が北海道東海上で急速に発達し、海山に大荒れ」との予報が繰り返し報道された。休日に悪天候の予報が重なる時は、どちらかと言うと“大袈裟”な時が多い。

7日朝は麓でも40cm位の降雪。昼までは南の風、午後から北風に変わり風が強くなり、視界も悪くなり国道を走る車の列もノロノロだった。

そんな日曜の午後、珍しく晩酌をしないまま夜を迎えているとM村さんから電話が入る。
「(あけまして)おめでと、体調はいい?」
「ええ‥」
「捜索なんだけど、出られるかな?」
「ええ‥」

さあ、準備をしなくてはならない。
夕食を済まして、ビーコンの電池を換えスコップ、ゾンデ、ハーネス、ヘッドランプ、懐中電灯そうそう、アバラングなんかもザックに入れておかねばならない。
厳冬期用の登山靴はかれこれ購入から20年が経過しており、経年劣化が心配だったので防寒長靴を採用。スノーシューでは藪の中でとり回しが辛いだろうと、あえて“かんじき”を出してくる。
位置は聞いてみないと判らないが、この麓近くの降雪でアイゼンが必要なことは無く雪上での機動力が必要との判断だすな‥

イメージ 14○スキー場に向かう、田んぼの一本道は吹き溜まりでうねっており、ハンドルを取られる。地吹雪で前が見えず徐行で進む。
(間違えた、写真は車から撮ったものでなくて、圧雪車から撮ったモノ)

事務所に行くと、警察の人と○対協の幹部とM村さんが待っていた。警察の人と○7のパトロール隊長から説明を受けている。スキー場所有の地形図を出してくるが、上手くゲレンデと麓を繋ぐ斜面全体を一枚でカバー出来る地形図が無い。

状況はこうらしい。

4人グループで1名行方不明、何処で居なくなったか不明。
要ははぐれて、そのまま帰ってこないとの事。

最後に確認したのは昼過ぎ、その後本人から友人に電話があり、「1km程雪の中を歩いた」との連絡があった。特に怪我も無いらしい。その後、電話は不通。

遭難者の友人によると、スノーボードのかなり初心者で、最近多い“確信犯”ではないらしい。かえって初心者ではどの様に雪の中で動くか想像がつかない。
情報はそこまで。何処に居るのかコレでは判らない。

連絡を受けたパトロールは、得た情報から推測によりゲレンデ「ル○トⅠ」の○森側ゲレンデ上部と下部を大声で名前を呼んでの捜索をしたらしい。
過去には午前1時頃に麓の道路まで出てきた人も居るらしい。
現在仕切りなおし中と言った所。
21時過ぎ、更に遭○協のメンバーが2人到着する。
若手?はゲレンデの上部から幹部?は麓から捜索を再開することにする。
イメージ 2圧雪車に乗せて貰い現場と考えられる所へ‥

僕ら3人はゲレンデ上部から尾根沿いに下る。
沢に迷い込んだと仮定して、「○ートⅠ」から飯○地区に下る沢の集まる所を目視する為だ。
「おぉ~いい!」「おぉぉ~い!」呼んでみる。
さっきまでの風はかなり収まり、5竜のナイターの明かりが明るい。月もおぼろげに見えて来た。
トロールに連絡してナイターの照明を延長して貰う。
「ピィィィィィ~!」M村さんの指笛は、鹿の鳴き声のように山に木魂する。
耳を澄ます。国道の車の音が良く聞こえる。呼びかけては耳を澄ます。
無線が混線して煩いので電源を切る。

イメージ 3高度計と地形図を持参した。M本さんに後ろから、進行方向を指示して貰いながら、どんどん下る。途中にトレースを発見したが、残念ながらカモシカのもの‥。

沢の合流地点まで下り、ハロゲン懐中電灯で辺りを探りかつ呼ぶ。
何処に居るんだろう、うずくまって居るのだろうか?
僕らの声は聞こえないのだろうか?
外の明かりは見えないのだろうか?
家族はこっちに向かっているのだろうか?

丁度1年前に、仕事中に12m落下して松本の病院に担ぎ込まれてた時に、両親は遠く埼玉から電車で駆けつけた時の事を思い出した。
「親御さんも、せつないだろうなぁ~」M村さんが言った。

登り返しも辛いので、より広範囲を探ろうと、「ルー○Ⅰ」の下部までトラバースする事にする。雪も深く、雪の上を歩くと言うより、枝の上を伝い歩く感覚。
「ルート○」の分岐下部まで探そうとしたが、急斜面と藪の濃さで断念し、ゲレンデに戻った。ゲレンデ端はら怪しい斜面を覗いていたら、雪庇は落ち2人落下。藪に掴まり難を逃れる。が、ストックをなくす。
午前1時は回っているので、再び圧雪車に迎えに来てもらい事務所に戻る。

先に戻っていた麓捜索チームも、手がかりは無かったらしい。
今迄捜索した箇所を、地形図にプロットし翌日の捜索打合せをする。
翌朝からは、今晩捜索出来なかった所を重点的に足で探す事にする。

早出できるチームは更にゲレンデ上部を、用事を済ましてくるチームは今晩探せなかった藪の急斜面を探して貰う事にして解散。早く寝ないともう4時間もない‥。

目覚ましに聞いていたラジオからは焼額山の遭難者は昨夜のうちに救助されたとの報道。後は、○馬と白乗らしい。と、言う事はヘリがこっちに飛んでくるかも知れない。

翌朝、薄暗いうちに出発。
イメージ 4早出チーム4人は更にM原、H川(パト)とM村、僕の二班に別れて広範囲に探す事にする。
国道を走る救急車のサイレンがかすかに聞こえる。視界もいい。○森ゲレンデのアナウンスも良く聞こえる。
二班でお互い「おーい!」では間違えると、遭難者の苗字(○山)を呼ぶ事にする。

イメージ 5昨夜の沢の合流点近くまで降りる。特に形跡がない。
後発チームも動き出したらしい、しきりに呼びかけて来るが、尾根を挟んでいるのでさっぱり判らない。呼びかけられるたびに、動きを止めて耳を澄まして聞き入る。けど、判らない。M村さんが大○署に中継して貰えるように頼んでいる。

捜索本部みたいなものを設置するのであれば、尾根を挟んだ事務所でなく、怪しい斜面全体をカバー出来る側に来なくてはならないだろう。これでは無線での会話はまったく出来ない。

○町署から無線が入る
「○時○分、遭難者から連絡有。救急車のサイレンが聞こえたとの事。」
「生きているんだぁ~!」
にわかに身体に力が涌いて来るのを感じる。よかったぁ~。
で、そこから何が見えるとか聞いてくれないの?
と、思ったが。まずは生きている事が確認出来て、僕らも俄かに士気が高まる。

「サイレンが聞こえたなら下の方だ」と無線の声が言っている。
ドウかな?僕はゲレンデから降り始めた時にそれを聞いている。
「○山ぁ~!」呼ぶしかない。

イメージ 6バラバラ、県警ヘリが来た。
僕らの姿を見つけたのか、白い手袋が動くのが見えた。
「○山さん、あなたを探しています。携帯電話の電源を入れてください。」
上から呼びかける。サイレンが聞こえたならこれは聞こえるだろう。
端からホバリングしながら呼びかけている。
もう大丈夫だろう、心強い援軍を得た気持ちで見上げていた。

「ザッザッ、遭難ザッ発見ザザァー」
おっ!見つかったらしい。無線の声は途切れ途切れだ。
M原班にも携帯で知らせる。
しばらくしてヘリが離れて行った。確保したかな?
僕らも下山を開始。○森ゲレンデに出るのが早そうだ。
ヘリが戻って来た、どうやら誰かが遭難者を収容しに降りていたらしい。
確保した事を無線が伝えている。良かった。

飯○ゲレンデを歩いて降りて○7のシャトルバスに拾って貰って帰る。
その後ヘリは神城の診療所に着陸して悪天で暫らく飛べなくなてしまったようだ。
もう少しヘリの到着が遅かったら、視界不良で捜索出来なかっただろう‥。
自宅に帰ってから、昼のローカルニュースでヘリから降りて来る遭難者を見た。無事
そうにトコトコ歩いていた。
特にびっこをひいている訳でもない。普通の足取りだ。
良かった。本当に良かった。
白馬乗鞍の夫婦も自力で下山したらしい。
そっちも良かった。

色々、考える事のあった一件だった。
また、自分をもっと技術面と装備面でも精進させなくてはならないと感じた。
諸先輩の対応を見ていると、やはり場数であるとも感じた。
ただ、訓練でなく救助を待っている人が何処かに居ると言う“有事”である事を忘れ
てはならないとも思った。

【追記】
まぁ、捜索に出るとかなりなお駄賃が貰えるわけで‥以前は先輩から呼ばれても居ないのに来るヒトが多くて、何もしないのに‥って‥。

実際、当日駆け付けると重鎮のヒトの装備にチョッと驚いた。
何処の氷壁の捜索に行くのかと、ジャラジャラ登攀具を腰から下げてボクが履いて来るのをあきらめた昭和末期のプラ登山靴を履いており‥ヤル気って言うか、そんなの重くてどうやって藪漕ぎするの?ってっ感じだったけど‥。まぁ、実際は本部に残っていたのかな?麓から声掛け組に参加したのか良く分からない‥。

なんと初日の夜の捜索が終わって、ボクがあえて機動力を考えて長靴&和(輪)かんじきにして来たのを‥
「ふざけた装備で来たヤツがいる‥」って、聞かされた‥。
まぁ、長靴じゃそこいらの街のアンちゃんと一緒ってコトが言いたいのか?
テレビカメラでも来た時に、写りの問題なのか?捜索費用を支払うことになる家族?等が来た時に満足に支払って貰えるような‥安心の捜索態勢を表現しなくてはいけないのかもしれない‥
『んだよっ!動かないのにジャラジャラさせて来てっ!』って、思ったけど‥次回から呼ばれなくなっては臨時収入のお楽しみも無くなる‥チョッと不謹慎かな?

で、翌朝は年代物の『コフラックハイアット』って当時は旗艦だったプラブーツを履いて行ったら
「ソレ、ボクのと同じだね‥」って‥ってコトはソロソロそれも加水分解して氷点下でインナーのみ状態になる‥ってコト‥。それとも救助の時にしか履いてこないから温存されているのかな?

まぁ、後日声が掛かって、お駄賃貰いに行ってハンコ押して来たんだけど、色々意見すると収入絶たれるし、見て見ないふりしていると、いろいろ闇が見えてくる‥。此処にも日本の縮図があるモノだなぁー
って、
もう呼ばれるコトもないから、追記ですな‥
一部の人だけが特権にありついているにしても、彼等にとっては重要な収入源‥
遭難者は居なくなってほしいモノだけど、居た時の体勢は維持しなくちゃならないし‥
そんなとこ‥ ボクはカメラの交換レンズを増やしたかな‥