牛歩村日記? Like a snail's pace?

日々平穏に暮らしていれば、自から幸せになれると言いますが‥?いろいろ雑音が‥

『みなかみの大穴スキー場』老朽化や集客減で営業今季限りに‥を聞いて‥


先週末の実家からの復路は、かなり古いサンヨーゴリラのナビに距離優先で、案内させたらR254で富岡まで行き、下仁田ICまで県道走ってR18号へ入り、碓氷峠の旧道を登って軽井沢追分から山沿いに帰ったんだけど‥

次に帰郷するときには、横川の越後屋食堂でごはん食べて行こうって営業時間を調べていたら‥
なんと、安中の越後屋食堂が全焼ってこと‥今月はじめのことらしい‥トホホ‥店主と奥さんは無事だったとのこと‥これまた『フライパンを火に掛けて場を離れる‥』ってありがちな状態‥
糸魚川の大火とかみんな食堂の主人が場を離れているよね‥危機意識が全く無いね‥

って、その記事の横に‥大穴スキー場3月21日閉鎖の記事‥
正直「まだやっていたんだ‥」というのが本音‥

大穴スキー場といえば、ボクのスキー発祥の地‥
近くに父の勤務先の保養所があり、そこからスタコラ歩いてスキーをしに‥行ったもの‥

前にも書いたけど、父の一族はスキーが得意でうちの兄弟も父にココで教わった‥
まだまだリフトは1人乗りしか無く、ボクはリフトに乗れずロープトゥーに必死で掴まッって‥手がビショビショ‥

お昼を食べたコテージなんて呼べるトコはなく、まさに昭和な食堂でなんとかご飯を食べたかな?
当時は家族ごと電車で水上までいって、タクシーで会社の保養所まで行っていたのかな?

冷凍みかんとか食べたのかな?あまり覚えていないけど、電車も結構混んでいたよね‥
年末年始を保養所で過ごしたような‥
年末の帰省客と一緒でかなりごった返していたような‥

それにしても、お正月って言えば結構雪あったけど‥
ない年は、みんなで天神平に遠征したっけ‥

スキーは保養所で借りたり、父系の一族がスキー一族でお古が回ってきたり‥
カンダハーってワイヤーをかかとに留めて、前にてこでレバーを倒して固定する‥
ってクラシックスタイル‥

ストックは竹で、リングを留めるのもストラップもみんな革‥
コレが濡れて冷たい‥

ウエアーも、中綿が入っていても撥水性なんてなかったから、ジットリ冷たかったな‥
まぁ、父は国体とか出ていたみたいだけど、僕らはなんとかスキーを履いたことがあるってくらいかな‥

それでも、スキー場は結構混んでいたな‥

イメージ 1向かって左に当時からジャンプ台があったね‥
保養所は今は他に売られたみたい‥
結構近かったね‥
今から思えば、特に面白みのないただ滑るだけのスキー場だったかな‥
母は、妹の面倒を見ていてスキーはやってなかったかな?

後年、みんながスキーを履けるようになってからはじめたって感じかな?

それにしても、亡くなってしまうのはしょうがないよね‥
他にもスキー場はあるし、雪も減っているからね‥