牛歩村日記? Like a snail's pace?

日々平穏に暮らしていれば、自から幸せになれると言いますが‥?いろいろ雑音が‥

西条八十の『ぼくの帽子』に登場する‟以太利麦の帽子”とは‥

チョッと気になっていたこと‥
西条八十氏(1892年(明治25年)~ 1970年(昭和45年))の『ぼくの帽子』(改題『帽子』)内で出て来る“麦わら帽子”‥“以太利麦の帽子”って‥どんな型の帽子だったのだろう?

 

『ぼくの帽子』   西條 八十

 母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね? 
 ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、 
 谿底へ落したあの麦稈帽子ですよ。

 母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
 僕はあの時、ずいぶんくやしかつた、
 だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

 母さん、あのとき、向から若い薬売が来ましたつけね。
 紺の脚絆に手甲をした。
 そして拾はうとして、ずいぶん骨折つてくれましたつけね。
 けれど、たうとう駄目だつた、
 なにしろ深い谿で、それに草が
 背たけぐらゐ伸びてゐたんですもの。

 母さん、ほんとにあの帽子、どうなつたでせう?
 あのとき傍に咲いてゐた、車百合の花は
 もうとうに、枯れちやつたでせうね。そして
 秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
 あの帽子の下で、毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。

 母さん、そして、きつと今頃は、今夜あたりは、
 あの谿間に、静かに雪が降りつもつてゐるでせう、
 昔、つやつやひかつた、あの以太利麦の帽子と、
 その裏に僕が書いた
 Y・Sといふ頭文字を
 埋めるやうに、静かに、寂しく。 

 

旧書体だと感慨深く情緒が更に豊かっぽく感じられるような‥
でも、『以太利麦』ってナンだろう‥イタリア麦‥
ホントは縦書きにしたかったんだけど、コノはてなブログでは難しいいいのかな?良く判らん‥

 

スパゲッティの原料のデュラム小麦の麦わらなのかな?
イタリアでは法律で、乾燥パスタはデュラムセモリナ粉と水で作ることをパスタ生産者に義務付けているんだよね‥。ドイツで『ビール純粋令』として、1516年に制定された『ビールは、麦芽・ホップ・水・酵母のみを原料とする』って言うのと同じ感じだすな‥。ちなみに生パスタはパンコムギの小麦粉を使って作られるってこと‥。正式にはデユラム小麦って品種名ではなく「硬質小麦の粗挽きの粉」って意味だと言うけど‥。パン&パスタ食文化だから小麦の生産は多かったのだろうし‥。

 

あと、実父も大ファンだったフランス映画の巨匠ルネ・クレールの第四作目(日本当時未公開)に『イタリア麦の帽子(1927仏)』と言う映画があったので、西条が見たのかと考えたが、『ぼくの帽子』は1920年作で、西条が二十代後半に書いたモノだから‥さらに幼少期って言うと、映画の影響はなかったかな?って、う~む‥仏文学者でもあったというしね‥

 

『イタリア麦の帽子(TheItalianStrawHat)』は、サイレント映画の傑作とのコト‥
ルネクレール作品らしく、チョッとドタバタの喜劇となっているとのコト‥。実父も見ただろうか‥?

 

西条八十のこの詩を有名にしたのはなんと言っても角川映画の『人間の証明』なんだけど、その中には特に大きなヒントはなかったかな‥って、昔のニューオータニの頭頂部が、麦わら帽子に見えたってことだし、オーソドックスな型だねたぶん‥
だいいち子供用の麦わら帽子に、デザインはさすがに求めないか‥とほほ‥なんだかつまらない結果に‥
原作者の森村誠一氏は郷里の隣り街出身とのコトで、『ストウハ』『KissMe』『キリツミ』等の謎解きにボクも『「読んでから見るか 見てから読むか』にのせられてせっせと読んだかな‥

昔、霧積温泉金湯館にバイクで行った時に、辺りの明治中期の鳥瞰図があり凄い施設群がひしめいて‥一大避暑地を構成して居たって宿の人もハナシしていたな‥だけど、明治後期の山津波で全滅したとか‥
温泉地の地滑りってホント多いね‥。温泉が湧くんだからそんなモノか‥

 

イタリアの麦わら帽子と言えば、フィレンツェが産地として有名だったとのコトで、別名を『レグホーン帽』と言ったとのコト‥。レグホーンと言えば‥イタリア語読みで『Livorno(リヴォルノ)』って、トスカーナ州の県だそうな‥位置的にはフィレンツエの西で海に面している‥ここ出身の白いニワトリがイギリスで改良されて有名なレグホン種ってコトになるとのコト‥
もちろん麦の産地ですな‥デザインのお国柄で色々な麦わら帽子があるようで‥代表的なフォルムってあったのかな?

 

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ただ、『人間の証明』の麦わら帽子も『イタリア麦の帽子』のポスターの麦わら帽子も似ているからこんなモノなのかなぁ~?って‥。あと、牛込生まれの西条が、当時から日本での麦わら帽子生産地として有名だった春日部を通過して入手した‥って仮説も考えたけど、1885年(明治18年)には信越本線が高崎~横川まで開業しているとのコトで、通過しちゃっただろうな‥。

 

そもそも西条八十さん御一行は、何処から何処に向かったのか‥?フィクションか‥?
西条八十研究って調べたら、国立国会図書館の蔵書が多数‥。しまった‥この間、行ったばっかりなのに‥
自伝とか、御子息の著書がある様なのでそのうちに調べてみようかな?

 

【資料】撮影者:日下部金兵衛(日下部金兵衛アルバム)明治中期

 

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中山道坂本宿の昔と今ですな‥ 『碓氷から霧積へ‥』と言えば、峠から斜めに下り行くルートと、どうも当時は松井田の次の駅は熊野平駅だったみたいだから、松井田から歩いたのか籠なのか?明治天皇北陸道・東海に往かれた時に整備された御巡幸道路は、明治11年は出来ていたってことだけど、めがね橋あたりから旧中山道の山道に向かっているみたいだし、1893年明治26年)4月1日に横川-軽井沢間の官営鉄道が開通とのこと‥。ボンボンだったらしいから、籠じゃなくて輿かもね‥
碓氷というのは『関』のコトを指すのか『峠』指すのか?どのルートなんだろ‥
薬売りが向こうから来たのは、中山道を降りてきたのか?霧積温泉に呼ばれたのか?
坂本から霧積温泉への道は、霧積川沿いで市に詠むほど名残惜しかった麦わら帽子を諦めるほど、谷が深いとも思えない‥
母と子どもだけの旅でも無かろうに‥小遣いやって従者に拾わせれば?って思うけど‥コレは研究書を紐解くしかなさそうですな‥

 

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同じく明治中期の碓氷峠ですな‥写真は新道なのか?たぶん旧道だと思いますが‥

 

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旧街道ではなく新道の横の現在プリンススキー場辺りからの浅間山と離山ですな‥
この頃は既にショーさんらが別荘を作っていたみたい‥。堤康次郎が沓掛(中軽井沢)から別荘地の分譲をしたのは大正になってから‥ なんにもないね‥昔の写真って樹木は薪にしてしまうから人が住んでいればあまり木立ってないんだよね‥

 

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昭和初期の地形図、チョットの間ならこの頃のこの国を旅してみたいものですな‥不審者で捕まるか‥

 

フィレンツェの麦わら帽子イタリアの小さな村から生まれた世界の一流品 フィレンツェの麦わら帽子
田中帽子店の歴史埼玉県春日部市の伝統工芸品“麦わら帽子”の田中帽子店/創業明治十三年

 

角川映画人間の証明』のテーマ
作詞:ジョー山中
作曲:大野雄二
Mama,Do you remember the old straw hat you gave to me
 I lost the hat long ago flew to the foggy canyon
 Yeah Mama,I wonder what happened to that old straw hat
 Falling down the mountain side out of my reach like your heart

 Suddenly the wind came up
 Stealing my hat from me yeah
 Swirling whirling gusts of wind
 Blowing it higher away

 Mama,that old straw hat was the only one I really loved
 But we lost it,no one could bring it back
 Like the life you gave me

 Suddenly the wind came up
 Stealing my hat from me yeah
 Swirling whirling gusts of wind
 Blowing it higher away

 Mama,that old straw hat was the only one I really loved
 But we lost it,no one could bring it back
 Like the life you gave me
 Like the life you gave me
う~む‥
最近、テレビとかラジオとか結構流れるんだよね‥
ソウソウ、幼少のジョニーが高原の湿原で親子で散策するのは小谷村の栂池自然園だよね‥行ったことあるヒトならすぐ判る。大野雄二さんと言ったら演奏家でもあり、作曲編曲いろいろ多彩な方ですな‥。「ルパン」から「小旅」まで幅広いよね‥