守田迺神社でモリタノジンジャって読む。
旧平林村って言っていたらしい。田園地帯と言うより、広大な遊水池?雨水調整池?が広がっている所を見ると、湿地って感じなのかな?この辺りも旧裾花川の流路の北端に当たるのか?有名?な浅川の南端なのか?土砂等が堆積して堆積して、浚渫で出来た築山が3カ所あるから『三重』って地名が公園に残っているってハナシ‥。
この公園の河川側の木陰がボクの昼寝スポットになって居るけど結構木陰の競争率が高いんだよねぇー
【参考】昼寝
以前めずらしくローカルラジオ放送を聞いていたら、重鎮?のパーソナリティの爺さまが「アソコ(平林)辺りまで行くと静かでしょ」なんて、チョッと前に流行った井上章一氏の新書『京都ぎらい』(朝日新書)での洛中のヒトが嵯峨野出身の筆者をバカにする‥って一節と似たようなコトを言っていて、田舎町には田舎町でチョッとでも田園部をバカにする文化があるんだなぁ~って、微笑ましく思ったモノ‥
旧平林村って言っていたらしい。田園地帯と言うより、広大な遊水池?雨水調整池?が広がっている所を見ると、湿地って感じなのかな?この辺りも旧裾花川の流路の北端に当たるのか?有名?な浅川の南端なのか?土砂等が堆積して堆積して、浚渫で出来た築山が3カ所あるから『三重』って地名が公園に残っているってハナシ‥。
この公園の河川側の木陰がボクの昼寝スポットになって居るけど結構木陰の競争率が高いんだよねぇー
【参考】昼寝
以前めずらしくローカルラジオ放送を聞いていたら、重鎮?のパーソナリティの爺さまが「アソコ(平林)辺りまで行くと静かでしょ」なんて、チョッと前に流行った井上章一氏の新書『京都ぎらい』(朝日新書)での洛中のヒトが嵯峨野出身の筆者をバカにする‥って一節と似たようなコトを言っていて、田舎町には田舎町でチョッとでも田園部をバカにする文化があるんだなぁ~って、微笑ましく思ったモノ‥
旧裾花川のひとつともいえる『北八幡川』が参道?を迂回する様に横断している。創建が早いのか?流路が先なのか?良く判らないけど‥
この北八幡川は都市河川ばりに降雨後に急に水位が上がってビックリしたりするんですな‥。
だもんで、この下流に調整池があって‥水辺が市民の憩いの場‥にはなって居なくて、絶対の立入禁止‥。そもそも、立入禁止にはチョッとだけ良いとか悪いとかはあろうはずはない‥
有史から水溜りだったんだろうな‥。内部の泥(べと)はそれなりに臭い。昭和30.40年代よりはいいんだるけどその頃は金網も無かったかも‥。他の遊水池がソウであるように、一種のバードサンクチュアリって感じになって居る。けど、住民は集まるムクドリ等の苦情を御上に訴えているみたい‥。
ムクドリなんか追い出せば他に移動するだけだしね‥。
境内には、触れば錆で怪我しそうな遊具が並んでいるし‥
管理責任者は表示して欲しいね。それとも自己責任なんて言い出すのかな?
ボクが子供の頃に遊んだモノと同じ様ですな。ってコトは半世紀近くそのままなんだろうなー
タイヤ遊具なんて縦にしていればいいけど、横置きタイプだと中でボウフラが湧いてエライことに‥
地区の南西で北八幡川に中沢川などの用水が数本が注ぎ、さらに六ヶ郷用水が分かれており、この付近に2.4haにも及ぶ雨水調整池が広がっている。この合分流点は勾配が緩いため土砂の堆積が甚だしく、浚った土砂が積み重なって付近に小高い丘を3つ成すほどであり、「三重山」などといわれていた。
現在でも付近の三重(さんじゅう)公園にその名が残っている。
2.北八幡川の雨水調整池の整備について調整池の近くに先祖代々住まうヒトも、近頃の住宅地開発で越して来たヒトもイロイロ意見は言わなきゃね‥(^_-)
2.北八幡川の雨水調整池の整備について調整池の近くに先祖代々住まうヒトも、近頃の住宅地開発で越して来たヒトもイロイロ意見は言わなきゃね‥(^_-)
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