牛歩村日記? Like a snail's pace?

日々平穏に暮らしていれば、自から幸せになれると言いますが‥?いろいろ雑音が‥

『よみがえれ池塘よ草原よ』37年目夏の陣

 毎年8月の第4週末絡みなのかな?出身学校の研究室が37年続けている植生復元のボランティア活動に4年ぶりに参加して来ました。今年の6月に研究室を訪問した時に参加を打診していたし‥。ってコトで8月に入って連絡をとってみた‥。

 

 ら、今年は主催者のM本氏が不参加とのコト‥。そろそろ世代交代のお年頃とのコトもあり、後任の世代の応援?も兼ねて現場をほっぽり出して(上手く調整して)休みを勝ち取る‥。普通に週休2日が権利として認められている業界のヒトには判らない“勝ち取る感‥”まぁいいや‥

 

 ナニやら研究室本隊は、金曜東京発で地元の公民館泊で土曜の早朝から登って月曜までの2泊3日とのコト‥。まぁボクは土日で精一杯ですな‥。4年前に同行して頂いた山岳ガイドから道普請まで山の隅々まで知り尽くす“雪猫”コトKim-gサンを同伴です。

 

 最終連絡を本隊ととると、金曜日から同行出来ない学生を土曜の朝に拾ってほしいとのコト‥。だけど、最終打ち合わせに現れず携帯電話にも出ないし連絡が取れないとのコト‥。なんだかよく判らないけど、学生相手に当たり前の連絡を摂れない大変さを感じる‥。6月に訪問した時にも、学生サマに下手に声掛けをすれば“セクハラ”“パワハラ”云々と、相手が不愉快と感じ、大学のコンプライアンスを扱う部署に訴えれば、即ペナルティだそうで下手に叱るコトも指導するコトも出来ないと言う‥。
 日本も大変な人権国家になったモノですな‥。

 

 結局学生さんは本隊と同行出来る事になったとのコトで、ボク等は土曜の早朝に長野を出発‥。
途中で天気予報の通り寒冷前線が通過し、土砂降りに‥。でも、通過後は晴れ間も見えたり‥
アノ雨の中に本隊が出発するコトもないだろうし、すぐ追いつくのでは?って思いながら駐車場で準備していると隣にも似た様な年頃のオッサン二人‥。話し掛けると同じボランティア参加者だそうで‥
ソウは言っても特に一緒に歩くコトもなく‥。そのうちに合流しますが‥

 

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 登山口には『登山は自己責任‥』『○○ルートは通行禁止!』とか自治体名で責任回避的なスローガンが並べられている‥。不勉強なボクにはソレがどのルートに当たるのかが判らない‥。地図を併記して貰えれば外国人達にも理解して貰えるかも知れないのにね‥
 4合目で早くも本隊の中のバテバテ組に追いつき、6合目あたりで本体に追いつく。良く参加する見覚えのあるOBに声を掛けたけど‥ボクの体型の変化?でボクが誰なのか判らなかったと言う‥トホホ‥
学生時代は(からしばらくは‥)精悍だったんだよね‥*1
右写真は、水晶の小片が拾える通称?“水晶平”‥。前引率者と共に歩いているとあまり休憩時間を貰え中たんだよね‥この時も同行者Kが濁った水晶の結晶を拾いました‥

 

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森林限界を越える頃には青空が‥。この丸太の階段状の施設も過去に(ボクじゃないけど)我々が植生復元をした痕跡ですな‥。

 

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稜線に晴れ間は束の間で雲が拡がったり‥。涼しい風が汗を吹き飛ばしてくれますな‥
って、爽やかなんだけどボクの脹脛(ふくらはぎ)は筋がピシピシとアヤシイ気配‥とほほ‥

 

大勢の学生さん達が下山した来たので「何処から来たの?何処の団体?」って訊いたら白毛門岳から来たT大WV部の人々で藪漕ぎ2泊3日合宿だったそうです。ボク等が学生の頃も同じ(巻機山)避難小屋にH大探検部だったかな?の面々が、これから平ヶ岳方面に藪漕ぎ合宿をするんで気合を入れて居たし‥
四半世紀経っても登山をまだまだ始めたばかり?の大学生も普通の登山道を爺婆と一緒に歩きたくなんだな‥?僕なら冬にスキーでスルスル歩きたいけど‥ね。

 

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2泊3日でフル参加するヒトにはボランティア本隊から食事を3食保障されますが、ボク等みたいな短期参加の場合は自前で食事を済ませます。だもんで、水も自分らで汲みに行きます。本隊の水タンクはナント下界で灯油を入れるアノ赤いタンク‥。あんまり美味しそうでないです‥。

 

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ひと休みしたら、さっそく活動開始ですな。避難小屋前で研究室助教から説明があります。

 

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ボク等が入学する前の先輩達が輝かしい活動をして復元させた池塘です。池塘の復元作業は当時日本で初めての事例?だとか‥?近頃再び土砂の流入が‥?
そもそも、自然と言うモノは“自ずから然る”べきだとも思うんだけどな‥。ヒトさまが殺到?して裸地化するのも‥それもまた自然‥。とも考えられるけど、この研究室では人為的な変遷を良しとしない‥。ってコトなのでそれに従っているし‥ 
次世代の引率者の説明では、その両方考え方のの説明もしておりかなり好感度ですな‥。行為はひとつでも色々な見方があるってコト‥。学生時代に今は教授の今回不参加の当時講師の先生が、母校の学歌の一節『科学の力で自然を伏しぃ~』って部分について当時色々議論があったとかのハナシを思い出しました。

 

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上越国境の山々の良いトコは稜線が草原状で、涼しい風が吹き渡ります。食虫植物も生育しているけど、もっと蚋とか食べて貰わないとうっとうしくてしょうがないですな‥。地元新潟県のオジサン達の参加者は、本当の山頂の表示が何処にあるべきかについて熱弁を振るっていました。
なだらかな山稜を持つ山には山頂位置を明確に定めない場合があったり、地形図にする時に山頂を定めたり、色々ですからね‥。

 

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さて、植生復元ボランティアの本来の仕事です。地産地消みたな考えで、『現地で採取した種子を現地に植えて復元させる』って方針は昔から替わってはいないようです。播種の仕方は4年前もやってますが翌日行います。“ヒゲノガリヤス”の種子が採取時なのでコレを集中的に採取する様に指示が出されます。夕時で辺りに他の登山者が居ないコトもあり、草原に皆散らばって採取します。他の登山者が居る場合は、「復元って言っている割には自分達で踏んでいるじゃないかっ!」ってSNSで写真付きで投稿される恐れもありますから気を付けねばなりません‥

 

夕暮れが近付く頃には避難小屋に戻り、夕飯の準備です。本隊は(前任者に叩き込まれた)食事当番ってもはや当番でなくなっているようですが‥
イメージ 15ボク等や他の自由参加のオジサン達は小屋の外で晩酌をしながらめいめい夕飯を作ります。なんとも蚋が大量に纏わりついてうっとおしいし、刺され捲ります‥。
ボクの夕飯は、助役サマの会社の備蓄α米五目御飯で4年前も食べましたがまだ残っていたのでコレを採用です。消費期限は過ぎていたようですが、全く問題ありません‥。
小屋の内部での、夕食は色々美味しそうで近寄らない様にしていましたんで写真も撮りませんでした。

 

夕暮れに到着した単独の登山者も外で夕飯を作っていたので、近からず遠からずって感じで声を掛けこの後の本隊との酒宴時に過大なストレスを少しでも緩和しようと根回しをしておきます‥。
四半世紀前には、先にも出て来たH大の探検部の面々が階上で自称静かに酒宴を開く(当社比)我々に「いぃ~加減にしてくれませんかっ!」って抗議を受けたコトもあるし‥。そうそう、あったあった‥

 

さて、酒宴でも賑やかなのはOB達‥。学生さんは‥?1名女子を残して男子は4人位居たと思ったけど階上で既に寝てしまったか‥?近頃の若い学生さんのハナシも聞きたかったが、行動中も視界にもあまり入らず名前も聞いてないし‥。まぁ、そんなモノなんだろうな‥。既にアノ世代の息子娘を持つ同級生も居るんだろうケド‥。高い学費で大変だな‥
年々の反省を積んで‥21時には消灯して熟睡しました。どの位イビキで迷惑を掛けたかは不明‥。
それ程寒くなく途中で目を覚ますこともなかった‥(^_-)

 

“歳をとると早起きになる”とは良く言うけど、先が見えて来た寿命が惜しくて目が覚めたら寿命が勿体無くて起き上がちゃうみたい‥
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便所に起きて、二度寝して‥小屋の2階はこんな感じ‥
階下に通じる階段は梯子以下、古民家の階段以上‥

 

あんまり天気が良さそうなので早起きして付近をウロウロ‥
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昔の小屋は鉄骨が見えていたんでハンモックを吊るしたコトもあったけど、現小屋は全面板張りで張綱するトコもあまりないみたい‥

 

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さて、そのうちみんな起き出して朝食の用意です。ボク等は蚋と闘いながら外で準備です。
単独登山者に「昨夜は賑やかでスイマセンでした‥」と言うと、聞えたのか聞こえないのか返事なし‥
「結構高イビキかいてましたよ‥」って教えてくれたヒトも‥良かった‥でも、山登りでは“寝てても眠れなかったっ!”って体の不調を訴え続け朝の爽やかな雰囲気に水を差し続けるヒトって結構多い‥。
「だから、ドウして欲しいんだっ!?」って聞いても、どうしようもない‥。ただ常に不平を口にするコトで自分の存在を主張するだけの様だ‥。ボクの統計だと長男長女に多いよね‥。
本隊は、美味しそうな朝食です。遠巻きに指をくわえる‥

 

食後にまったりして、作業のレクチャーの前に集合写真を撮る。
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今日の作業場はニセ巻機の山頂から登山口よりに下ったところとのコト。ヤシ繊維のネットでを背負子で運ぶと“働いて居る感”が得られます。ボランティアでの充実感は自己満足が200%出来るかですな‥

 

ボク等は午前中の作業が終了するまで行動を共にして、サッサと下山して明日に備えるコトに‥
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天気予報では、雨雨週末のはずだったのにこんなに晴れてラッキィですな‥。って言うか、天気予報が当たらないって言うコト?

 

助教による説明の後、昨日採取した種子を撒きます
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以前丸太にて階段状に植生復元をしたけど、生育の悪かったところに再度播種をするってコトです‥
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巻機山は豪雪地帯で雪解けの雪と地面との摩擦で裸地化してしまうのを防ぐって言うか、種がより長い間地面に残っていられる様にヤシの繊維のネットを被せます。大き目の石で抑えたり‥
って、作業をやっているのは自主的に参加しているオジサン達ばかり‥。学生さんはオッサン達に華やかな仕事を譲って、地味に種採取を続けてます。

 

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次世代を担う若者にも技術?伝承?して欲しいと学生さんにも作業をして戴きます。

 

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さて、植生復元作業の最中も日曜日とあって沢山の登山者が登って来ます。ところが次から次から登山者が登山道でなくて植生復元として並べた丸太の上を歩いて来ます。「此処を歩かないでくださいっ!」なんて声を荒らげる参加者も居たけど、ん?待てよ‥わざわざボク等が作業している所を歩こうとしている訳ではないし‥。登って来る登山者の目線まで下ってみると‥

 

イメージ 32う~む‥
どう見ても真中の登山道らしき丸太(朽木)階段より左右の復元ゾーンの丸太の方が並びが綺麗で‥あたかも階段の様に見えてしまうではないか‥っ!

 

イメージ 33ってコトで‥
左右のゾーンには行きにくい様なハザードを石とかで設置する。
まぁ、ここら辺は新潟県の方で予算を確保して頂いて階段の復旧をするべきですな‥
大学の使命としてこれらの行政機関に卒業生を送り込むのも仕事ですよね‥って話し合う。ボクはもう遅いけど‥。
中央に裸族の一員が作業しているけど、すぐ裸になる彼の存在で健全?なボランティアの作業がなんだか不思議な集団になって来ている様な‥?引率者も学生へのコンプライアンス?指導?が行き届いているためナニも言えないのか?なんとも感じないのか?
ちなみに彼は学生ではなくてOBだそうです。

 

そんなこんなで午前中の作業を終えて、本隊が小屋に戻るのでボク等は下山するコトに‥
荷物を既にまとめて来ていたのでこの場でお別れです。って別れてしばらくしたら雨が激しく振って来る

 

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雨具を着て汗をかきかき下山です。足がつるかと思たけどなんとか下山出来ました。
イカー登山で弱るのは、汗ぐしょで風呂に入って着替えたいけど、登山口に浴場が無い限り汗ぐしょのまま車に乗るか、その場で乾いたモノに着替えねばなりません‥

 

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登山口の清水の集落には浴場&温泉が無いので汗ぐしょのまま食堂?で名物?『山菜だらけそば』を食べます。前回は温かい蕎麦しか無かったけど、今年は冷やしがあったのでソレを食べる。漬物を運んで来た食堂の御子息が漬物をこぼして、取り替えるかな?って思っていたら、子供が床から掴んで再度皿に載せたのを店のお婆サマが見ていて「あらやだっ!」って言いつつも黙認‥。えっ!って思ったけど、どうせ登山者だしもっと汚いモノ食べてんだろ‥ってコトで悲しい結果に‥
食堂の本棚に焼成復元ボランティアのバイブルになっている1977年の報告書があったのでヨシとしましょう。

 

まぁ、復元活動にはまた時間がとれたら来てみよう。

 

*1:+_+