これまた我が家から助役サマの御実家に向かう道沿いに気になる看板がある‥。
なにやら"歌舞伎舞台”って書いてあるし‥。
歌舞伎好きの助役サマも気になって居た様で、時間があったので寄ってみた。
なにやら"歌舞伎舞台”って書いてあるし‥。
歌舞伎好きの助役サマも気になって居た様で、時間があったので寄ってみた。
上信越道の東部湯の丸ICのチョッと北側、開通時はPAだけでICンターはなかったんだけどね‥
千曲川の河岸段丘が緩く水田地帯となって、傾斜がグンと変わる辺りの集落で、かつては祢津村といい、昭和30年代の合併で東部町、平成の合併で東御市ってなっている。
千曲川の河岸段丘が緩く水田地帯となって、傾斜がグンと変わる辺りの集落で、かつては祢津村といい、昭和30年代の合併で東部町、平成の合併で東御市ってなっている。
祢津村は、かつての信濃国小県郡の名族滋野(しげの)氏の親戚筋で根津(ねつ)を名乗り海野氏、望月氏と並び“滋野三家”と呼ばれた。『祢津、禰津、根津』なんて名乗っている。真田十勇士の根津甚八もこの関係‥そもそも真田氏は根津氏の家臣にだったとのこと‥
そんな由緒のある集落に農村歌舞伎が根付いている。まずは『西宮の歌舞伎舞台』へ‥
クネクネ挟細路の集落を登って車を止めるトコがない‥Uターンして来て祢津健事(たてこと)神社境内に突っ込む様に駐車‥
クネクネ挟細路の集落を登って車を止めるトコがない‥Uターンして来て祢津健事(たてこと)神社境内に突っ込む様に駐車‥
祢津健事神社境内に建つこの舞台は、記録により文化13年(1816)の建立で、回しのある舞台で現在でも使用できる舞台では、日本最古といわれている。間口八間、奥行4.5間の寄棟造木造平屋建て茅葺き。床に直径3間の回しとセリ上げ3ヵ所がある。舞台の装置にはセリ分け・セリ出シ・田楽返しなどがある。地元では「舞台見るなら西宮へ、芝居見るなら東町へ」と言い伝えられている。
そんな境内の神社に向かって左側の斜面の上に西宮の歌舞伎舞台がある。
「最近まで演じられていた‥」とある
回しの仕掛けのある“奈落”は山の斜面の階下部分にある。廃墟感はなく管理が行き届いているのかな?
残念なコトにこちらの西宮舞台は上演をもうしていないらしい‥
『芝居見るなら東町‥』って言うので近くの東町の歌舞伎舞台に移動する。
街外れに舞台を確認してから駐車場所を探して‥
戻ってJAの駐車場に入れる
近所にはココしかないかなぁ~
街外れに舞台を確認してから駐車場所を探して‥
戻ってJAの駐車場に入れる
近所にはココしかないかなぁ~
振返ると旧祢津村の中心部が拡がる
コッチは境内にある歌舞伎舞台‥。緩やかな斜面に腰を下ろして観劇出来るって感じかな?
コッチの舞台にも“回しとセリ上げ”なんかあるみたい‥。この角度から舞台を見下ろすのがイイかも‥
観劇出来る時のために場所取りの下見です。
石段途中の鳥居脇に伐採されているけど超巨木の根株が残っている‥。
石段下の田んぼに無数の得体の知れない小魚類?両生類の子供?みたいのが沢山居るし‥
何だろう‥?エビ?サンショウウオ?カブトガニみたいな生物を養殖していたり‥(^-^)
【追記】ホウネンエビ(豊年蝦)と言う甲殻類で田に水を張ると乾燥状態で土中で越冬した卵から孵化する。彼らがよく発生する年は豊作とのコト‥。知らなかったヨ‥
ちなみに毎年4月の29日今で言う“昭和の日”あたりに公演があるらしい。
見に来れるかなぁ?混むんだろうなー
来年は同じ日に、何年に一度の千曲市の『雨宮の渡し』の神事もあるみたいだし、忙しいぞぉぉ~
【資料】 祢津東町歌舞伎 地芝居ポータルサイト
ちなみに年一回の公演は、五月連休の前半の4月‥
見に来れるかなぁ?混むんだろうなー
来年は同じ日に、何年に一度の千曲市の『雨宮の渡し』の神事もあるみたいだし、忙しいぞぉぉ~
【資料】 祢津東町歌舞伎 地芝居ポータルサイト
ちなみに年一回の公演は、五月連休の前半の4月‥