牛歩村日記? Like a snail's pace?

日々平穏に暮らしていれば、自から幸せになれると言いますが‥?いろいろ雑音が‥

善光寺街道“稲荷山宿”&長谷寺

堰めぐりでまだお尻が痛いけど、天気がいいので化石燃料より皮下脂肪を燃やそうとチャリで今度は千曲市方面に出かける‥。
助役サマの親友の八重山古典民謡のお師匠さんが出演するイベントに寄ってみようとお出掛けした。
ボク的には姥捨の棚田の稲刈り風景でも見に行こうかと‥思って地図を見れば‥かなり遠い‥ ドウしよう

まずはお出掛け‥
先々週までならジリジリと暑かったのが台風15号前後から急激に涼しくなり、天窓を閉めて敷き布団も2枚体制に変更している。コタツの登場もそろそろだろう‥

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粟佐橋から千曲川を見ればかなり増水した痕跡が見られ、高水敷(河川敷)はかろうじて冠水をまのがれていた様子‥

千曲川の左岸に渡った時点で姥捨てまで行く時間がないと判断し、手前の善光寺街道稲荷山宿あたりを散策する事に‥
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善光寺街道の最大の宿場町だったと言われ「一ヶ月に九回の市が立った」と言われる。
長野県の地方銀行で一番の預金額を誇る?八十二銀行は前身の「第六十三国立銀行」の旧本店が大火で焼失した際、稲荷山銀行の支援を受けて稲荷山町に本店を移した経緯がると言う‥だからナニ‥
ちなみに『八十二銀行は』『第六十三国立銀行』と『第十九国立銀行』が合併して“63+19=82”ってコト‥
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明治から大正期に呉服商として栄えた黒塗りの重厚な土蔵や、遊郭の趣を残す家屋や土蔵、石畳風の舗装がなされた漆喰壁やなまこ壁の蔵が林立している小路で、「土蔵の路」「土壁の路」とも呼ばれているらしい。
だけども、右写真の土蔵も解体中で周囲に土蔵特有の土と黴の香りが充満していた‥
なんとも勿体ないコトだけど、歯抜けに綺麗な2×4住宅が綺麗?なガレージとミニバンを従えて勢力を伸ばしている‥
蔵造の街道からはそれらの住宅は駐車場の部分だけセットバックしているため、写真には写りにくいが蔵造りの建築物が連続する街道と言うかストーリーって言うのか物語性に欠ける景観となってしまっている。
今までは乗用車で県道沿いにキョロキョロしながら通過していたけど、自転車ならまぁまぁ裏道って言うか蔵の裏門まで堪能出来た。かな‥?徒歩が本当は良かったけど‥
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さて、助役サマの御親友の出演時間が近付き近くの長谷寺に向かう‥ 街道から一本西側の静かな果樹園の中をグイグイチャリで登る。千曲川を挟んで善光寺平が北東に拡がる‥

長谷寺では“秋分祭”として芸能奉納や出店みたいな飲食店と手工芸のヒトの出店がされていて賑わっている。
その昔2006年春に来たコトがある(そのあともう一回) 【参考記事】花束を買う
本堂?から千曲川を経て善光寺平南部と境内のメインステージ‥
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助役サマの親友率いる八重山古典民謡『あやぱに』  こっちの方が目がクギ付けだったインド舞踊‥

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長谷寺への石段の参道は出店が立ち並び、なかなかの盛況ぶり。ボクらの触手が伸びるコトなし‥

さて、今度は千曲川の左岸のサイクリング道路を経て帰宅の途に‥
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高速道路の長野道を潜る。           助役サマは“手離し運転”の練習に余念がない‥(^_-)
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長野新幹線と在来線の千曲川に掛かる鉄橋‥ 去年の春に助役サマと千曲川の川下りをしてカヌーが枕してこの鉄橋の下で濡れたモノ干して濡れてないパンを齧ったトコだ‥ 懐かしいね‥ 【参考記事】 千曲川沈道中