牛歩村日記? Like a snail's pace?

日々平穏に暮らしていれば、自から幸せになれると言いますが‥?いろいろ雑音が‥

川越遺跡

『箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川』って何だっけ?何に詠まれたんだっけ?
『嶋田宿』 は、東海道53次の23番目の宿場で、大井川の左岸(江戸側)が嶋田宿、右岸が金谷宿‥
増水で大井川の川越が禁止されると、江戸から京都、京都から江戸方面への旅客が足止めされ賑わいをみせたらしい。長雨で、滞在費と遊興費に所持金を使い果たすことも珍しくなかったという‥。

 そんな嶋田側に川越の為の施設が残っていたり復元されていたり‥なぜか『遺跡』との表記
近所に『登呂遺跡』があるけど、遺跡って言うとあんなイメージだけど‥
 現地は旧東海パルプ㈱の製紙工場に隣接していてかなり製紙工場の異臭が漂う。大井川は東海道の渡しがあったため江戸の間は上流からの木材の筏での搬出が禁止されていたとのコト。上流域一体を所有していた旧大倉財閥の旧東海フォレスト㈱は明治から筏での搬出、鉄道を敷設し大井川鉄道での搬出と色々手を尽くしたが、輸入材との競争では勝てなかった様だ‥
 ボク的には、南アルプス登山で椹島や二軒小屋にお世話になり、“ヤマトイワナ”釣りで大井川最上流部の釣り行脚でお世話になった思いで深いトコ‥

島田市博物館の駐車場に車を停め、街並みを歩く‥
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江戸時代からの地権者の子孫なのか住宅がひしめいている。江戸時代って言っても140年ってチョッとのハナシだし‥4~5世代前の爺さん達のハナシだろうな‥
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神社なんかは当時のまま社が残っているけど、民家は遺跡?として復元されている。みたい‥
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家屋の中は蝋人形がいたり、すっかり資料館になっている‥ 右は1928年(昭和3年)に完成したトラスの鉄橋。当時はココが国道1号線でにぎわったらしい‥
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【島田宿側から大井川を望む】
1870年(明治4年)1月 - 川越人足廃止に伴い、渡船が運行開始。
※この場合の渡船はワイヤーを渡しそれに沿って船首を上流に向けて往復移動するモノ‥
1875年(明治9年) - 木製の仮橋を架設するが、しばしば増水で流された。
1883年(明治16年)4月 - 本設の木橋が完成。
1895年(明治29年)10月 - 増水で流失し、渡船が復活。
1928年(昭和3年)3月 - 鉄橋(トラス橋)が完成。
2006年(平成18年)3月 - 橋東側の右折対策として回転道路(迂回路)を設置。

イメージ 8金谷宿の上流には、掛川藩の藩主だった『山内一豊』が作らせた『一豊堤』がありコレによって金谷辺りの平地が造られるコトになる‥

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【嶋田宿】                             【金谷宿】
現在どちらも島田市‥ふつう大きな河川が自治体の境界となることが多いけど‥

川越人足らはかなり“荒くれモノ”が多かったというけど、体臭も臭かったんだろうな‥
肩車されたりするのヤダな‥