尋ねられて、「えぇ~へぇ~」って曖昧に返事をする事に「永平寺じゃないんだからっ!」ってよく言われたモンだが‥?福井の永平寺と言えば禅修業の総本山‥
最初に就職した会社の後輩が休暇と言えば禅を組みに行っていたから名前だけは知っていた。
さて、福井市の隣永平寺町は標高は高くないけど奥深い山の中‥
最初に就職した会社の後輩が休暇と言えば禅を組みに行っていたから名前だけは知っていた。
さて、福井市の隣永平寺町は標高は高くないけど奥深い山の中‥
境内では巨大な杉の老木の伐採作業をしている‥。今日はまだ土曜日なんで普通に働いているんだね‥。
法堂(はっとう)に向かう長い階段‥内部は靴下のまま歩くのだけど、掃除が行き届いていて綺麗なもの‥
木目が足裏に気持ち良かったり‥
若い雲水(うんすい:修行のお坊さん)が掃除をしていた。何処かのお寺の跡取りなのかな?
外は日差しが厳しくまずまずの暑さだけど、伽藍内はヒンヤリとした空気が漂っている‥
ケーブルカーの様な平行四辺形の格子戸は鍵を閉めないと全て下に落ちてしまう‥?
山門(三門)の柱は礎石に面で接しているのではなく点で接している様子‥
ん?『この柱は礎石がなくて木材だぞ‥』ってヘンなんで写真を撮って帰宅後に調べたら‥
『山門建立の時、大工の棟梁の娘を人柱にたてたため』
なんて記述がある。だからなんで礎石が無いのかサッパリ判らないけど、コレで納得しておくしかないのが宗教の世界だ‥(^_-)-☆
なんだかサッパリ判らないままお参りしてしまったので、しばし一室でビデオ鑑賞‥
雲水サンらの一日の修行を通して永平寺の事を勉強‥
多くのヒトが難しい顔をして画面に見入っている。
現地で肌で感じる事が大事だけど、こういったビジュアル的に脳で理解しなくては‥
ココが何で道元さんが誰で、どうして福井に寺を構えたのか‥
雲水サンらの一日の修行を通して永平寺の事を勉強‥
多くのヒトが難しい顔をして画面に見入っている。
現地で肌で感じる事が大事だけど、こういったビジュアル的に脳で理解しなくては‥
ココが何で道元さんが誰で、どうして福井に寺を構えたのか‥
そんなこんなで結局は帰宅してから、調べて判った気になって満足‥?
出発前には永平寺に立ち寄るとはこれっポッチも考えて居なかったのでしょうがない‥
次回があれば、もっと別の視点で参拝出来そうだ‥
禅寺なので雲水として座禅を組みに来るってコトもいいね‥(^_-)-☆
出発前には永平寺に立ち寄るとはこれっポッチも考えて居なかったのでしょうがない‥
次回があれば、もっと別の視点で参拝出来そうだ‥
禅寺なので雲水として座禅を組みに来るってコトもいいね‥(^_-)-☆
道元禅師(1200-1253)は、当時仏教の最高学府だった比叡山で権力者とむすんで俗世での名声や利欲をむさぼる堕落した姿に失望し、博多から宋に渡って曹洞宗禅師の天童如浄より印可を受けた。
仏教の経文原典を求めてインドを周遊し『般若心経』を中国にもたらした三蔵法師(602-664)
日本に伝承された漢訳仏典に疑問をおぼえ、仏典の梵語原典とチベット語訳を入手しようと日本人で初めてチベットへの入境を果たした河口慧海(1866-1945)
三人とも堕落した現況に危機感を覚え、原理を得るべく旅をし、帰郷後教えを広めている。
僕だったら原理を得る為の旅までは良いけど、布教するような事まではしないだろうなぁ~
仏教の経文原典を求めてインドを周遊し『般若心経』を中国にもたらした三蔵法師(602-664)
日本に伝承された漢訳仏典に疑問をおぼえ、仏典の梵語原典とチベット語訳を入手しようと日本人で初めてチベットへの入境を果たした河口慧海(1866-1945)
三人とも堕落した現況に危機感を覚え、原理を得るべく旅をし、帰郷後教えを広めている。
僕だったら原理を得る為の旅までは良いけど、布教するような事まではしないだろうなぁ~