今回のみちのく行脚の目玉の一つ‥釜石市の甲子町宿の中央水路、花巻から猿ヶ石川沿いを遠野に向い、助役は前回の前回の訪遠野で購入した手編みの鍋敷きがもう一つ欲しい!って言うので再度土産屋に寄ると‥
既に引退したとのコト‥ う~ん‥ 引退したのか土に戻ってしまったのか‥
「だからもう一つアノ時に買って置けば良かったっ!」悔しがっている‥
家では勿体無いと安い鍋敷きを使い、そのお婆ちゃんの製作したモノは壁に飾ったまま‥
既に引退したとのコト‥ う~ん‥ 引退したのか土に戻ってしまったのか‥
「だからもう一つアノ時に買って置けば良かったっ!」悔しがっている‥
家では勿体無いと安い鍋敷きを使い、そのお婆ちゃんの製作したモノは壁に飾ったまま‥
さて、失意のままR283を釜石に向かい、釜石製鉄所辺りまで来るが甲子の位置が良く判らず近くの商店で聞いてみる。何件目かで水路を知る老人に場所を聞き釜石南高校まで戻る‥
玉石で水路の跡を模っている‥
『中央水路跡』だって‥ まじっ?ココまで来てこれかよ‥ まぁ、地域を分断する中央水路では‥
ん?しばらく歩くと水路があった‥
石積みは当時のままなのかな? 手洗い場なんかあったりして‥
石積みは当時のままなのかな? 手洗い場なんかあったりして‥
すっかり三面張りだけど、チロチロ綺麗な水は流れているし‥まぁ合格!
史跡 甲子町宿跡(かっつまづ) 甲子町三十九軒は、交通の要衝の地として宿駅となり、甲子村の中に独立していた。その記録の初見は慶長十六年(一六一一)三月七日に見られる。 この町を取り締まる役を検断といい、制札がこの場に立てられ、オフダ場ともいわれた。 元禄十五年(一七〇二)十一月に、甲子町を通る商売の荷振銭(通行料)をとることを代官から許され、これが甲子町の生計を維持する大きな収入源となった。 こうして甲子町を通行する人馬や荷駄は、ここでいったん止まり一息入れ、馬は、町の中央を流れる水路の水を飲んだりした。 甲子町三十九軒は、明治のはじめ甲子村に合併するまで、その数軒の増減は、非常に少なく、あまり変わっていない。 この様な宿駅の町のかたちを、いままで残しているのはめずらしく貴重である。250m程の中央分離帯の内50m程かな?
水路部分は‥
今ひとつ街道街の趣が感じられなかったけど、もしかしたら仙人峠辺りの峠道には気配が残っていたかも‥