牛歩村日記? Like a snail's pace?

日々平穏に暮らしていれば、自から幸せになれると言いますが‥?いろいろ雑音が‥

よみがえれ池塘よ草原よ

巻機山は学生時代から夏秋春と厳冬期を除いて良く登っている。
って言うのは、僕の所属した研究室が30年程前から植生の復元を行っており、活動の一環というか山が好きでフラフラ着いて行った感じかな?

他のみんなは登山道を資材を担いで参加しているのに、僕だけ用事で後れて入山し沢からやって来たりして、結構顰蹙(ひんしゅく)を買っていた‥。まぁ、そんな事は気にしないけど‥

今回は十数年ぶりで顔を出した訳だけど、沢から登ったため当時講師だった(現在教授の)恩師と後輩(だった研究生の現在講師)らは登山道から下山してしまい逢えずじまい‥残念‥。

残っていたのはこのボランティア活動のボスのマツキヨさんと二つ上の先輩1名、現役学生5名、尾瀬保護財団のヒト3名、一般のボランティアのヒト2名かな‥。昨夜は休日って事もあり、もっと人が居たらしいけど普通に登山で来ている登山者も数名避難小屋で寛いでいた。現役学生は5人中4名が同じ様な何て言うのかな‥中国か韓国人がかける様なメガネ(フレーム)を掛けておりパット見では見分けが付かない。
 
僕らが到着した夕方は既に作業を終え夕飯を済まして寛いでいた頃‥
僕らも簡単にフリーズドライ食で食事を済ませ、大ボスのマツキヨさんを囲んで色々語り合う。学生さんの話も聞きたかったけど、サッサと寝てしまったようだ‥。僕のワインもまぁ好評だったかな?

僕が同伴した北アのガイドさんもボランティア作業に興味を持ってくれたらしく色々質問してくれて大ボスも好印象を持ってくれた様だ‥
まぁ、他の一般客も寝てるので早々に就寝‥

翌朝は山だから寒いのかと思ったら、全国的に寒気ならぬ涼気が入り涼しかったみたい‥
僕は助役サマの薄手の羽毛シュラフを持参していたけど、同行者はシュラフカバーのみ‥。
寒くなかったかな?

久々に深酒?したのでシュラフの中でダラダラしていたら、隣の一般客がゴソゴソ起きはじめた。顔を合わせて「昨夜は遅くまで話し声がうるさかった‥」なんて言われるのもイヤなので他の仲間が起きるまで転寝(うたたね)をしている。

そうはいってもみんながゴソゴソ始めたので起き上がる‥
なにやら朝から霧‥
上越国境の山の素敵なトコは山頂及び稜線がチシマザサをはじめとする矮性植物での草原となっており、池塘なんかがチラホラ見られたりするんだけど‥
昨日の晴れているうちに山頂に行って来れば良かったんだけど、さすがに疲れてしまって断念してしまった。
今朝は視界20m位かな?同行者にも素敵な景色と眺望を見せてあげたかったけど‥
霧はいつしか雨音へ‥

「手伝って行くんだろ‥」って大ボスも言うので、サッサと下山せず植生復元作業に同行する事に‥
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列から離れ大ボスが同行者にこの30年もの作業成果を説明してくれる。池塘の形にも一つ一つ大ボスの思い入れがある‥
確かに僕の記憶も定かではないけど、以前より植栽で覆われている面積が増えている‥

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大ボスから作業の説明がある。今年の作業は水場近くて採取した種子(ヤチカワズスゲだったかな?)付きの穂を一定間隔で播種ならぬ播穂し、ソレを麻で荒く編まれた植生マットで覆う‥
マットで覆うのは種子及び穂が風で飛ばされたり雨や雪で流失しない様にとするもの‥
この辺りの積雪は稜線は風が強いから左程の積雪はないだろうけど、小屋から水場あたりの凹地が全く埋まってしまうから20~30mとかになるかもしれない‥

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残っている植栽は荒いマットの隙間から出してあげたりして‥カツラの植毛をしている様‥^^
風もあり指先が悴(かじか)んで動かない‥。晴れていれば富士山から日本海方面、尾瀬の至仏や平ヶ岳、眼下に関東の水がめ奥利根湖がきらめいているはずなのに‥

早々に作業も終わりみんな小屋に戻ると言うので、我々はこの辺りで一番高い『牛が岳』の山頂を踏みに同行者を連れて行く‥
大ボスにも「なぁぁぁんにも無いよっ‥」って素晴らしいお言葉を貰った通りチシマザサと登山道以外みえなかった‥。群馬県側に雪田があった位かな?

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早々に皆の後を追い小屋へ向う‥     小屋の中はこんな感じ‥2階もあるし広々‥

昼飯を食べた僕らは早々に下山開始‥ 通称“ニセ巻”と呼ばれるピークの手前から振り返る‥。
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左端の立木の中にある避難小屋と水場、米子沢の源頭ぶを見渡す‥。
積雪期は正面の凹部が全て雪で埋め尽くされ山頂方面はゆるいスロープとなる‥。

ニセ巻から少し下ったトコ周辺は昨日の植生復元作業地‥
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丸太階段の段差を解消するブロック‥コレは植生復元と直接関係ないようだけど、こんな段差が歩き辛くて中高齢の100名山登山者は脇に逸れてチシマザサを踏んで‥裸地化がはじまる‥
復元も大事だが、ソレをさせない様にした登山道も提案しなければならない‥
我お膝元の白馬の八方池辺りの登山道も階段の段差は酷い物だ‥

僕みたいに土木の連中から言わせれば毎年の作業は『なんだコレだけ‥?』って感じだけど、なにせボランティア主体の作業作業である。毎年ちょっとづつの作業が過酷な環境のこの山稜の植生の復元の速度に適しているともいえる。
聞けば大ボスも還暦を越えたとの事‥。僕がお世話になった現役の頃は僕の歳より若かった‥って事?
大ボスがこの作業に着手したのは20代後半だったんだろう。
先見の目があったと言うよりまさにこの分野での開拓者‥

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雨でヌルヌルになった登山道を僕は沢登り用のフエルト底靴でツルツルでドロドロ‥ 駐車場の水道で洗う‥
いつしか雨は上がり、晴間が見え始める‥

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同行者は大ボスに大変気に入って貰えた様で絶版している氏の著書を格安で販売して貰う‥。
おまけのパン付き!でサインまで貰っている‥
もちろん僕も初版(しかないけど‥)本を持っているけど、サインははいってない‥
よみがえれ 池塘よ 草原よ』松本 清 山と渓谷社(2000年3月) ( 1600円)
もちろん僕もイニシャルで登場しております‥^^

さて、ボランティアの面々は下山後大ボスのカオで麓の宿で簡単な宴がある(あった)んだけど‥
今はドウなのかな?
僕らは『山菜だらけそば』の看板に誘われて麓の清水集落の民宿兼食堂へ‥
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囲炉裏端の席を陣取り(僕らしか居なかったけど‥)昔のアルバムなんかを眺めて蕎麦を待つ‥

おおっ!うまそうっ!僕は基本的に温かい蕎麦は食べないんだけど、コレはうまい!
山菜は基本的に塩漬けして保存した物‥
そう言えば1階のガレージに漬物樽が沢山摘んであったわい‥

イメージ 17御馳走様!
元料理人の同行者も大満足‥
これは今度助役サマも連れて来ねばなるまい。
今回は沢登りはヤダ!って言って来なかったけど‥
まぁ、チョッと沢は連れて来なくて良かったかも‥
好きで来ている人なら兎も角、ちょっと怖いトコ多数‥

また暇をみて10年後位に顔を出してみよう‥(^ω^)