牛歩村日記? Like a snail's pace?

日々平穏に暮らしていれば、自から幸せになれると言いますが‥?いろいろ雑音が‥

驚愕!辰巳用水^^

兼六園で水路の源を確認しに上流へ散策した。
イメージ 1霞が池と雪見灯篭(徽軫灯篭)
兼六園の代表的な景観

イメージ 2辰巳用水の説明立札
初めて用水の存在を知る

イメージ 3兼六園の最高峰「山崎山」裏にある池
此処に一旦用水は溜まる

そこで、辰巳用水の存在を知った僕らは兼六坂上から小立野通りの横を流れる辰巳用水を確認。
イメージ 4イメージ 5イメージ 6
兼六坂上の交差点             小立野台地では暫らく        住宅地図でも用水を確認
グレーチングの下を用水が流れる    通りの横を用水が滾々と流れる    暫らくはこの通りの横だ

一旦、下流に向かう。香林坊武家屋敷、尾山神社を経て近江町市場に‥
なんと祭日で市場休業!開店している開店寿司屋は長蛇の列(´ε` )
イメージ 7    イメージ 8
香林坊の東急裏を流れる玉川        武家屋敷を流れる用水
コレは犀川から取水されているものの    名前は‥‥なんだろ?
辰巳用水とは別系統らしい         この用水も犀川から取水されているけど別系統

腹ごなしをした後、辰巳用水も気にしつつ犀末温泉に向かう。
小立野原台地から見下ろす犀川は、はるか眼下だ。この高低差を引き込むとしたら相当上流から取水しているだろう。って、道路地図を眺めて上流に向かう。地形図があれば水路や堰は直ぐ判るだろうが、判らないなりに探してみるのも面白いかもしれない‥。
こういった古い町並みの場合、貴重な用水路があるならそれに沿って街が発展しているモノだ。

案の定、石引の交差点で右に幹線が逸れて行っている。
イメージ 9    イメージ 10
あったあった。遊歩道(緑道)を従えて市民の憩いの場になっている。立札なんかもあって説明書きもある。

コレではまだまだ上流か‥って考えながら犀末温泉も探す。
湯涌温泉との分岐「土清水」交差点辺りでは左側から崖下の浅野川が迫っている。右の犀川側も然りだ。
むむむっ!これは尾根と思っていたのが間違いで、犀川浅野川で侵食されて残った河岸段丘の上を街道が走っていると理解すれば納得がいく。その河岸段丘の末端に「兼六園」「金沢城」を築城したと考えれば全てが氷解する。
八尾の町がなぜ、丘の上に犇めき合っているのかも納得が行く。
河岸段丘の涯線(帯状に続く崖)は自然の要塞である。その上に用水路を引くとは大したものだ‥。

って辺りをキョロキョロして、僕の仮説を裏付ける痕跡は残ってないか目を皿にする。
って言いながらも犀末温泉に近付く、犀川の上流の末町にあるから犀末温泉だろう。
助役は「場末、場末」って言っているけど‥
県道から涯線を狭細路をクネクネ下降し温泉に向かう。河原の温泉地まで用水らしいモノを横断していないし、ソレらしい帯状の構造物や緑地帯も見当たらない。付近の涯線下には他にも温泉?鉱泉?が湧出しているらしく、宿がいくつかあるようだ。
犀末温泉の湯守のオヤジに辰巳堰のありかをヒヤリング。
「少し高い所を流れているんだよ!上流に辰巳って地名があってその辺りに堰があるよ」
って教えてくれ、珍しい事を聞く人も居たもんだって顔をしている。ヨシヨシ。近い近い^^

って言いながらも、入浴後の足は白雲楼へ‥思いつきで予定を変えると助役が不平を漏らす。
湯涌温泉は、既に涯線が途切れた浅野川の上流の山の中にあった。

さて、谷違いの犀川上流に急行だ。
県道から涯線を目を凝らしながら下る。
ない。水路なんかない。古い住宅が身を寄せあって涯線にへばり付いている。
近くで農作業をしている人にヒヤリング。堰の事は知っている様だ。
教わった通りに上流の上辰巳の集落から犀川に下降。
切り立った崖で、「対向車が来ない事を確認してから前進せよ」ってある。
こんな崖上に水路がある訳ない。
ぐるぐる走り回り、散歩をしている人にもヒヤリング。
辰巳用水は知っているけど、辰巳堰は知らないと言う。嘘だ。近所のはずだ。
この人がよっぽどずぼらに人生を送っているか、よそ者に教えるなって御触れがあるのだろう^^
ん?涯線に水門が見えている!なんだ?
イメージ 11イメージ 12イメージ 13
水路がある!ソレも地下水路だ。
近年掘られた様な形跡でない。かなり昔の鑿跡だ。
コレなら見つかる筈がない‥。凄い!江戸初期に地下水路かよ!ローマ帝国上水道並ではないか!
この水門は溜まった砂を払う水門だろう。そうそう、熊本にある石のアーチ式の橋の上から放水する通潤橋(つうじゅんきょう)と同じだ。
っとすると、アノ崖の中を刳り貫いているかもしれない‥。
そこで冷静に犀川とのレベル差を目測し、河川勾配から推測。対岸に渡る車道があったので、対岸の高い所から見渡す。が、谷が深過ぎて見渡せない。
イメージ 14でも、発電所の放水管がある。
って事はコレよりも下流のはずだ。なぜならば取水口より下流に堰がなければ取水の効率が悪い。何処の水系でもそうだ。

で、発電施設に侵入!放水管に沿ってヌルヌルのコンクリート階段を降りる。あった!水路だ!
ヨシヨシ、手間を取らせやがって^^って近付くと、ん?素通りしている!
地下からチョッと顔を出した辰巳用水は再び地下に潜ってしまっている。
イメージ 15イメージ 16イメージ 17
むむむ‥しかし、河川の水位との差も僅かだ。
再び階段を登り、退屈そうに待っている助役に「御免、もうチョッと^^」ってお願いをする。

イメージ 18先程の対面通行の崖をもう一度下りながら、くまなく目を凝らす‥
「あったぁぁぁ!」
右5時の方向の遥か下に小さな堰があるではないか‥
なんで、さっき気が付かなかったのだろう!

ガタガタ河原に下りたら看板が僕らを迎えてくれた。
イメージ 19イメージ 20イメージ 21
まさにココが辰巳堰だ。
江戸時代にココから兼六園まで水路を引く測量をし、地下水路を掘らせた小松の町人「板屋兵四郎」氏に頭が下がる想いだ。チョッと、粘り強く見つけ出した自分にも酔っている^^
助役も久々に何かに打ち込む?僕の横顔を見て、特に不平を言わないで繰れた^^
イメージ 22イメージ 23イメージ 24
辰巳堰でせき止められた犀川の水面に映る夕日を眺めて、何か遣り遂げた達成感に浸った。
「さっ!忘れないで醤油買って帰ろ!」
午後3時には金沢を後にする積りが、既に5時を廻っていた。

帰宅後辰巳用水を調べる。
なんと、兼六園から金沢城まで、百軒掘りを潜って『逆サイフォン』と言う水の流れは日本でも最初の施工だそうな‥。箱根、玉川上水と、日本3大用水のひとつになっているらしい
兼六園には、たぶんサイフォン利用の日本最古と言われる“噴水”やサイフォンに利用した石製の樋管が見られるそうなので、また探しに行かなきゃ!