牛歩村日記? Like A snail's pace?

日々平穏に暮らしていれば、自から幸せになれると言いますが‥?いろいろ雑音が‥    副題は他国のヒトにもみて貰えるかなぁ~って‥?Fortune smiles on a merry home

蓮池メダカの『信徒発見』で、この国の根っこを感じる‥

 もしかしたら‥  とは思っていた‥。寒かろうと植木鉢を逆さにして沈めて3か月程‥、餌もその間に二つまみくらいは投入したかな‥。暖かだったので、少し濁って来た蓮池の水を交換してみることに‥

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 サワガニ達は自由に出入りが出来るし‥って思いながら植木鉢を取り出すと、巻き貝と幼齢の水性昆虫が少々‥。早くもユスリカも夜に電灯周りを飛んでいるのを見掛けるし、アカムシ等のボウフラが繁殖しているのでは?って目を凝らすけど見当たらない‥コレはもしかしたら、って思ったけど姿は見えない‥濁っているからか‥?

 容器で水を少しづつ注意しながら汲み出していると‥スッっと泳ぐ薄紅色の魚体‥「いた、いたっ!」って屋内の助役サマに見せに行く「凄いね‥1っ匹?」って‥その後慎重に汲み出したけど判らなかったな‥

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 昨年に確認した時には紅色の個体は確認していないけど、捕食していたモノのせいなのか容器の焼き物の色のせいなのか‥?ボクには『信徒発見』の光景が浮かんだ‥。でも、大浦天主堂でプティジャン神父に自ら申告したのとはちょっと違うし、放置してきて再発見して大騒ぎしているのだからどちらかというと、南極に放置して来た『タロ&ジロ』の樺太犬の様だなって‥。たぶん第三世代の生き残りでないかな‥


蓮池メダカ子(たぶん第三世代の生き残り) 

 ここから少し近代日本史の勉強‥昨年の2019年6月に世界遺産登録されたことで再び注目の長崎と五島列島の宗教施設群だけど、少し整理しておきたい‥

『信徒発見』と『プティジャン』神父とは‥

 フランス生まれの‟ベルナール・プティジャン(1829-1884)”は、18歳で神学校に入学し、1859年にパリ外国宣教会に入会し、30歳で日本への布教を志す。 1860年に日本布教を命ぜられ、鎖国で入国の困難だった日本に香港を経て琉球に渡り、那覇で2年間日本語と日本文化を学ぶ。1862年11月に横浜に上陸し、1864年には長崎に赴任。任務は大浦の居留地に住むフランス人の司牧で、『日本二十六聖人の殉教地』を見ることができる丘の上に、居留地に住むフランス人のために教会を建築する許可を得る。1865年2月19日大浦天主堂が完成させ『二十六聖殉教者堂』と命名。 建立まもない天主堂は「フランス寺」と呼ばれ、美しさと物珍しさから付近の住民たちが多数見物に訪れていた。プティジャン神父には「今でも何処かでカトリック教徒が密かに信仰を伝えているのではないか」という僅かな期待があった。とのコト‥1865年3月17日浦上の潜伏キリシタン大浦天主堂を訪ね、プティジャン神父に密かに信仰者であることを名乗る‥。これが『信徒発見』と言われる一連の出来事‥。その後、プティジャン神父は密かに浦上や五島などに布教を兼ねて訪れ、隠れた信者の発見に努め、浦上だけでなく長崎周辺の各地で多くのカトリック教徒が秘密裏に信仰を守り続けていたことがわかる。が、キリスト教禁教は変わらないため1873年明治6年)のキリスト教禁制の高札を撤去まで禁教の迫害が続くことになる。《出典:Wikipedia&抜粋》

 キリスト教禁教と『浦上崩れ』

 鎖国体制下、浦上の隠れキリシタンは秘密裏に組織を作って信仰を守り続けてきたが、江戸幕府および明治政府は1790年、1842年、1856年、1867年と合計4度にわたって検挙・弾圧を行った。これを『浦上崩れ』と呼ぶ。特に四番崩れでは事件の最中に明治維新が発生し、諸外国の公使と領事が長崎奉行に対し、人道に外れる行いであると即座に抗議を行い9月21日には正式な抗議を申し入れたフランス公使と将軍徳川慶喜大坂城で面会し話し合いが行われたが、江戸幕府が瓦解。4月7日に「五榜の掲示」の第3条で再びキリスト教の禁止が示され、浦上の信徒たちを呼び出して説得したが、彼らには改宗の意思がないことで、諸外国公使からの抗議を考慮し「信徒の流罪」が決定する。6月7日、太政官達が示され、信徒の中心人物を津和野、萩、福山へ移送することを決定。以降、1870年(明治3年)まで続々と長崎の信徒たちは捕縛されて流罪に処された。彼らは流刑先で数多くの拷問・私刑を加えられ続けたが、それは水責め、雪責め、氷責め、火責め、飢餓拷問、箱詰め、磔、親の前でその子供を拷問するなどその過酷さと陰惨さ・残虐さは旧幕時代以上であったとのコト‥。《出典:Wikipedia&抜粋》

諸外国の対応と日本政府の国内事情‥

各国公使は事の次第を本国に告げ、岩倉使節団一行が、訪問先で禁教政策を激しく非難され、明治政府のキリスト教弾圧が不平等条約改正の最大のネックであることを思い知らされることになる。かつて尊皇攘夷運動の活動家であった政府内の保守派は「神道が国教である以上、異国の宗教を排除するのは当然である」、「キリスト教を解禁してもただちに欧米が条約改正には応じるとは思えない」とキリスト教への反発を隠さず、禁教令撤廃に強硬に反対し、日本政府は一切解禁しようとしなかった。なお、仏教界には廃仏毀釈などで神道、およびその庇護者である明治政府との関係が悪化していたため、「共通の敵」であるキリスト教への敵対心を利用して関係を改善しようという動きも存在していた。とのコト‥《出典:Wikipedia&抜粋》

250年近くにわたった日本のキリスト教禁止政策に終止符とその後

 1873年明治6年)2月24日、日本政府はキリスト教禁制の高札を撤去し、信徒を釈放した。配流された者の数3394名、うち662名が命を落とした。生き残った信徒たちは流罪の苦難を「旅」と呼んで信仰を強くし、1879年旧浦上村庄屋、高谷邸屋敷跡地を買い取り浦上天主堂を建てた。 また1945年8月9日の長崎への原爆投下は、在住するキリスト教徒に多くの犠牲者を出したことから、これをキリスト教徒の受難事件ととらえ、「浦上五番崩れ」と称することもある。とのコト‥《出典:Wikipedia&抜粋》


信徒発見

キリスト教への迫害と改宗の強迫なんて、今現在の同調圧力とあまり変わらないよね。いつまで経ってもこの民族は変わらないよね‥

昨日のJOCの山下会長の、同じくJOC理事の山口香さんの五輪を延期すべきとの考えに対しての『みんなで協力しながら、開催に向けて力を尽くしていこうというときに、そういう発言をされるのは極めて残念と不快感を示した』件なんて、いい例だよね‥。受け入れて検討くらいすればいいのに、発言自体させない空気を作っているんだよね‥

山口サンなら言ってくれると思っていたよ‥2013年の女子柔道暴力事件でも比較的一貫としていたしね‥

しっかし外圧がないとキリスト教への迫害が終わらなかったように、国内からの意見は皆無だよね‥あっても協賛メディアは‟社”として公表しないんだろうけど‥

キリスト教への迫害の件だって信者も頑なだよね‥迫害をする側への抵抗なのか?命を掛ける事なのか‥って、村長はカトリック幼稚園くらいの知識じゃ宗教のコトが判らないらしいけど‥ 

ココまでヒト同士が命を奪う状態になるのが判っていて命懸けで布教する宣教師達も困ったモノだよね‥。カトリックの底辺を増やすためにこんなに犠牲を払って‥。それでもウィルスにはお祈りでしか対応出来ないなんて‥どうかしているよ 

【参考】 

gyuuhomura3.hatenablog.com 

gyuuhomura3.hatenablog.com

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