昔、大宮あたりで一時働いたことがあったけど、当時は何とも思わなかったけど、なんだか興味あるトコが多く、自転車を持ち込んでチョッとだけ見て回った。
『見沼田んぼ』『代用水』等々は郷里の歴史地理で聞いたことはあるけど、なにせ電車の沿線も違うと文化も違いチョッと外様感があるモノ。ボクの両親は共に荒川の左岸(東側)の出身者で、なにせ中山道が通っていたので、チョッと歴史の厚みが違うと思っている話しぶりを子供の頃から感じて過ごしてきた‥。
そんな、家光の時代に伊奈一族の一連の利根川東遷事業で作られた見沼溜井(ためい)が、吉宗の享保の改革で、溜井が干拓され新田になって、その東西見の縁に作られたのが、沼代用水の東縁と西縁ってコト‥
今ではコンクリートのいわゆる三面張構造になって管理しやすくなっているとのコト‥
中央には排水路として芝川が掘られて、下流で荒川に合流するのかな?
芝川と言えば、父は子供の頃に泳いだって言っていたけど、一時は汚い河川の代名詞だったけどね‥。あの頃はどこも汚かったからね‥。
住宅地と田園地帯の境になっている。田園地帯はそれでも埋立られて公共施設が作られていたり‥ボクから見ればチョッと溢れそうで、土地を譲って貰っても住みたくないな‥。う~ん‥大宮駅まで歩けても、チョッと水害は怖いな‥
近くの学校にはカヌーが置いてあって水面との近さを感じるね。享保の時代の田園は殆ど畑になっているみたい。住宅地から車とか自転車で作業をしに来ている様子。
そんな用水に沿って自転車で走っていると、おみやげやきとり屋サンがあった。
何人かお客さんが待っているみたい。この日は時間がなく後日購入することに‥
電話番号を聞いておき、後日予約しておいて再訪したときに受け取りました。
「お口に合いましたら、またお願いしますっ!」って爽やかな笑顔のボクよりはかなり若い店主。汗をかきかきやきとりを焼いていました。
やきとりの暖かいパックと香りを感じながら‥実家まで持って帰り、みんなで食べました。実家あたりみたいに辛味噌で食べるスタイルじゃなかったけど、美味しかったです。
昔は実家の周りにもこんな個人経営のやきとり屋がホントたくさんあったモノです。
『八丁堤』の痕跡って残っているのかなぁ~探しに行きたいなぁー