春からチョッと気になっていた『ニューヨーク公共図書館エクス・リプリス』って映画が、やっと長野県にやって来たので観に行った‥
国内では神保町の岩波ホールで5月中旬から公開が始まって、上京した折に見てきても良かったのだけど、せっかくなら助役サマとたまには一緒に映画を見ようと‥
長野にやって来るのを頚を長くして待っていた‥ってトコ‥
何やら3時間超って事で往年の『戦争と平和』のようですな‥
ナニがって?上映時間が長いってこと‥
さて、久々に長野の人が“中心市街地”と言う旧繁華街にある『長野相生座』って言えば、120年の歴史を誇る長野の芸能やらを支えてきた名所ってコト‥
ちなみに今回の上映は昭和40年代?に増設された長野ロキシーって併設映画館
1892年(明治25年)に開場した芝居小屋「千歳座」が前身で、建物は増改築が重ねられているものの明治時代当時のものが今も使われている。当初は歌舞伎などが上演されていたが、1897年(明治30年)には県内で初めて活動写真の上映が行われた。これは、日本で最初に活動写真が上映された年である。
映画の時代の到来とともに、1919年(大正8年)に長野演芸館(現 長野映画興行)に買収されて「相生座」と名を改めた。相生座の名は、劇場が面する相生町通り(1913年(大正2年)開通=現 権堂アーケード通り)に由来する。1972年(昭和47年)には松竹と劇場賃貸契約を交わし、翌年スクリーンを増やし「長野ロキシー」との2館体制として、松竹配給の洋画も上映するようになる。現在では長野映画興行の直営館であり、新作映画のほか、隔月で観客へのアンケートによる「名画特集」が催されている。
建物は既に築120年程経ち、建築年が確かにわかっている中で日本一古い映画館である高田世界館(新潟県上越市=1911年(明治44年)開館)よりも更に古い。《出典:Wikipedia》
自転車で久々に行った旧市街地は、21年前の長野五輪の目玉施設の表彰式だけやった広場の周りが取り壊されて住宅ができていたりして、もう商業施設がこの地に新しく出来ることもないんだってコトを思い知る‥
この夜は、長野旧市街地の夏祭りの開催日で道路閉鎖しまくっていて、地域の警官と民間警備員がかき集められて、何処にこんなに居たのかヤンキー風のオッサン、ニーチャン、姐サン、ネ~ちゃんとかなりガラが悪い‥
どうしてアスファルト上の祭りって昭和の暴走賊風の身なりを演出するのか‥
不思議です。
さて、映画が3時間モノなのでコンビニで食料と飲み物を購入して映画館へ‥
自転車置き場が併設されていて好印象‥この間大宮の高島屋に自転車で行ったら、駐輪場が満杯で待たされる‥って事態でビックリしたけどココは地方都市‥大丈夫です
開場前に誰か並んでいる‥かな?居ない‥誰も居ない‥だもんでチケットを買って中で待たせて貰う。
この映画館は実ははじめてだったので、いろいろ見学‥トイレも清潔感のあるタイル貼りで好印象‥
初回の上映が終わり、妙齢の女性が数人出てきた‥ん?これだけ?
さて、入れ替えて劇場に入るともちろん誰も居ない‥
そのうち仕事を終えた助役サマがやってくる‥「ねー8人しか居ないよ‥」
長野なんてそんなものだよ‥近くのシネコンで地元長野県出身のアニメ監督のアニメとかの方が客は呼べるし‥
さて映画、これぞドキュメンタリーなんだろうな‥
日本のテレビ局が制作したらすべての画面の背景で動く人々は顔にモザイク入っていただろうし‥
アメリカ人よく喋る‥喋ってばっかりで字幕を3時間読むのには疲れました。
助役サマはアレ程見たかったのに、全然つまらなくガッカリしている‥
連中の主張はうまく対処出来ればいいんだけどね‥
貸し出しと、文書の貯蔵って言うのかな?ドキュメンタリー内でも移民の家族を調べているヒトが居て、ソレをサポートする司書さんなのかボランティアさんなのか‥
建国200年ちょっとだっけ?記録が残っているのが凄いよね‥
今日びの日本では、首相の動向さえも残そうとしないというのに‥後学で検証できないよね‥ホント‥今の保身しか考えていない‥
まぁ、ナンでも残せばいいかと言えば、まぁー残せるものなら残しておいて後は後の人達に検証してもらうしかないよね‥ソレが役目だって言っているし‥
図書館員の憧れだって‥ふーん。
映画は長くて、チョッと疲れたな‥
日本の図書館ていったら、高校生が受験勉強しに来ていてクチャクチャおしゃべりしていて煩いとしか思わないけど、冷房の効いた異校間の社交場くらいにしか思ってないよね‥。後は子供を連れたお母さんたち‥ま、ボクも連れられて行ったクチだけどね‥
どっさり借りても結局読まないんだよね‥まぁ、そんなモノ‥
現地には‥チョッと一度は行ってみたいね‥
しっかし、『ゴーストバスターズ』が乗っていたような長大な消防車ってしょっちゅう緊急出動しているんだね‥